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お葬式豆辞典 ナ行

ナ行

内陣と外陣(ないじんとげじん)

寺院の本堂の区画のうち仏像をを安置してある場所を内陣といい、手前にあたる部分で礼拝のための場所を「外陣」という。一般の参拝者は内陣には入れない。

直会(なおらい)

神事が終わった後、神酒、神饌をおろしていただく酒宴。神と共に同じものを食べることで一つになるということ。

泣女(なきおんな)

なきめ(哭女)とも呼ばれる。不幸のあった家に雇われて泣くのを職業とする女のことです。能登の七尾市などでは、その代金によって、一升泣、ニ升泣などと泣き方に差がある。日本だけではなく中国、東南アジア地方にも見られ泣き婆、とむらいばばとも呼ばれる。

遺体(いたい)

人の亡骸のこと。遺骸。
従来は、死というものは心拍停止、呼吸停止、瞳孔拡大の三徴候で判断されていた。現在では、脳死を人の死と認めるようになっているが、医学的、社会的に意見の相違はまだあるようである。

日蓮宗(にちれんしゅう)

鎌倉時代に成立した日蓮(1222~82年)を開祖とする宗派。久遠寺を総本山とする。「法華経」こそが釈尊の教えの真髄であるとし、人々に「南無妙法蓮華経」と唱える事によって、仏の功徳と成仏が与えられると説いた。さらに日蓮は、法華経に描かれた世界をこの現実の世において実現させようとする積極的な実践をすすめ、仏国土を建設しようとする「立正安国」の実践を主張した。

日蓮宗の葬儀(にちれんしゅのそうぎ)

日蓮宗の葬儀式は「法華経を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱え、必ず霊山浄土に葬送する儀式。僧侶、喪主、参列者が一体となって死者の成仏をねがいます。その儀礼は

  1. 勧請(諸仏諸尊をお迎えする)
  2. 法号の授与
  3. 引導(霊山浄土に導く。払子を振って行う)
  4. 教訣(引導文。霊山往詣の安心を説き、故人の行跡や法号の由来、法華経信仰をもつことの尊さなどを述べる)

を中心に執り行われます。日蓮宗の葬儀では授戒は行われず、題目をとなえることで戒徳を回向するといわれています。

日本仏教の歴史(にほんぶっきょうのれきし)

日本へは中国から仏教が伝えられた。インドで小乗仏教から大乗仏教へと大きな変化が生じ、中国にはそれらが同時に伝えられた。中国で誕生した宗派が6世紀の初頭、朝鮮半島の百済経由でもたらされた。6世紀末、推古天王の摂政となった聖徳太子は607年最初の遣隋使として、小野妹子を派遣し積極的に中国の文化、人材、仏教を取り入れた。南都六宗といわれる宗派が代表される。仏教の教えや経典について、学問的な研究がなされ、鎮護国家、五穀豊穣の為に利用された。それらの寺院では葬儀は行われない。平安時代に最澄と空海により天台宗と真言宗が起こされ、ここから日本的な仏教が始まる。信者は貴族が中心であった。平安時代半ばごろから、末法思想や社会の混乱によって、浄土への往生を説く浄土教の信仰が盛んとなり、徐々に庶民への布教も行われるようになる。平安末期から鎌倉時代にかけ、武士という新しい層の台頭により、民衆を救済しようとするさまざまな宗派が成立していく。融通念仏宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗などである。それ以降室町、戦国時代にかけて、これらの宗教を中心に仏教は民衆を中心に受け入れられて発展していく。

江戸時代、幕府による統治下におかれた仏教は布教活動を制限され、また幕府による民衆管理の一部として利用されるようになる。この一方で教義の研究が盛んに行われた。明治時代の初め、神道の国教化により一時、寺院の打ち壊しなどの廃仏毀釈で弾圧を受け、また第二次世界大戦後は農地改革による経済的な圧迫や崩れつつある檀家制度などで変化しつつある。

納棺(のうかん)

遺体を棺に納める事を言う。元来はごく近い親族のみで行うものとされていたが、現在では葬儀社の職員がこれを担うことも多くなってきた。

涅槃(ねはん)

梵語nirvana 吹き消す事、消滅の意。煩悩の火を吹き消す事の意。煩悩のない悟りの境地を指す。入滅。

数珠(じゅず)

念珠ともいう。珠に穴をあけ、糸などでつないだ仏具で、手に掛けて使用する。宗教によってさまざまな種類があるが、八宗兼用のものも作られている。珠の数では、百八個が基本。本来はお経を読んだり念仏を唱える際、その回数を数える為の物であったが現在では葬儀の際に心を清め、威儀を正す為にもつとされる。

念仏(ねんぶつ)

「南無阿弥陀仏」と唱えること。

納棺(のうかん)

遺体を棺に納める事を言う。元来はごく近い親族のみで行うものとされていたが、現在では葬儀社の職員がこれを担うことも多くなってきた。

納骨堂(のうこつどう)

他人の依頼を受けて焼骨を収蔵するために、納骨堂として都道府県知事の許可を受けた施設をいう(墓埋法第2条第6項)。本来は墓地に埋葬するまで一時的に保管する場所であったが、墓地不足や価格上昇のためお墓として使うケースが増えている。それに伴い、永代使用を目的とした納骨堂もみられるようになった

脳死(のうし)

医学では脳死とは「脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止」と定義される。通常、脳の機能が停止すると心臓も停止し自力で呼吸が出来なくなるが、近年の医学の発展により人工呼吸器(シスピレータ)が開発され、心臓の動きだけを一定期間維持出来る様になった。この状態が一般的に脳死と言われている。大脳の機能が失われて高度の意識障害があり寝たきりとなる、いわゆる「植物状態」とは別のものである。

野辺送り(のべおくり)

葬列をなして、埋葬地まで死者を送る習俗のことです。告別式が発生するまでは葬祭の中心となった儀礼です。現在の野辺送りは出棺の挨拶が終わって、車で火葬場へ向かうことがそれにあたるでしょう。
昔は、故人と親しい人達が棺をかつぎ悲しみの行列をつくって火葬場や埋葬地まで送ったものですが、それが野辺のような場所であったところから野辺送りといわれたようです。
野辺送りは、遺体と同時に霊魂も送る儀式なので、魂が家に戻ってくるのを防ぐために、さまざまな送り方をしたようです。先頭の松明や提灯の火にあたるものに始まり、旗(銘旗)、竜頭、花籠、香炉、紙花(四華、四花)、膳、位牌、天蓋、棺など、いろいろなものが用意されました。

  1. 「火」は葬列の先頭に立ち、道案内、魔の祓い、通り火、火葬のための火種などの意味があったそうです。
  2. 「位牌」は白木の野位牌で、喪主が手にします。
  3. 「四華」は釈尊が涅槃に入られたときに、沙羅双樹が真白の花をつけたという故事からきています。

行列は棺の前後に晒布を述べて、血縁順に、この布を握って進みます。野辺送りでは、禁忌も多く、死霊が家に戻ってくる事を恐れて、途中で必ず迂回したり、火葬場に着いてから棺を三回ほどまわしたり、墓地の周りを回ったり、行き帰りの道を別の道を通るなどします。

祝詞(のりと)

祭祀の際、神職がその趣旨などを神に奉上する言葉。現存する最も古いものは、平安時代の書物「延喜式」にあるもの。宣命体で書かれている。現在もほとんどがこれを基準にして奉上されている。