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お葬式豆辞典 タ行

タ行

逮夜(たいや)

本来の意味は翌日の荼毘におよぶ夜のことで、火葬前夜、葬儀前夜を指した。これより月忌や年忌などの忌日の前夜を指すようにもなった。儀礼の簡略化に伴い、現在では省略される傾向にあるが、地方によっては通夜と葬儀の間に日をおき、葬儀前夜に逮夜法要を行なうところもある。

火葬(かそう)

「荼毘」とも言う。古くはインドで行われた。釈迦が入滅時に、その遺体が荼毘に付されて以来、火葬が仏教徒の葬法となりました。古代日本においては、死者は白骨化して初めて浄化される存在であり、腐敗途中に有る死体は死霊が取り憑いた存在として忌避された。そこで、火葬は死体を焼却する事によって肉と骨の分離を素早く行う事が出来ることから、死者や死霊に対する恐怖の念を緩和することに役立ったと思われる。わが国では、文武天皇の四年(700年)、道昭という僧が遺言により火葬されたのが始まりです。宮廷では大宝三年(703年)持統太上天皇の葬儀が火葬で行われているとされていますが、これは記録上のことで、実際にはもっと早くから行われていたようです。当時は皇族などごく一部の人々のみのものであったが、中世後期以降になると北陸の浄土真宗地帯を中心に火葬は庶民にも普及。近世になり江戸中期以降は特に武家を中心に普及した。火葬は元来は薪をつみ上げた野焼き方式であったが、近世に入るとかま式となり、焼場は各地の仏教寺院に置かれ、三昧所または火家と呼ばれた。当時の火葬率そのものは二割未満で、圧倒的多数は土葬であった。
近代に入ると、明治政府は伝染病予防のために公衆衛生の観点から火葬を推進した。太平洋戦争後は行政が積極的に近代化と福祉の観点から火葬を推進し、行政の責任において火葬場を設立しました。近年は火葬場建設反対運動への配慮もあって、煙の再燃処理を行い、無臭、無煙、無公害化を実現した火葬場が年々増えてきています。最近では「斎場」と呼ばれることが多い。
欧米の火葬が骨灰にするのに対し、日本では遺骨を大切にする風習から、遺骨の形が残るのほうが良いとされる。火葬後の「拾骨(収骨、骨上げ)」の儀礼も葬儀の重要な位置を占める。日本列島の東部は主として全部収骨であり、西部は一部収骨と大きく異なっている。

タブー(taboo)

語源はポリネシア語のtabu,tapu聖なる意味からきています。超自然的な危険な力を持つ事項に対して社会的に厳しく禁止される特定の行為。触れたり、口に出したりしてはいけないとされる物や事柄のことです。「禁忌」と訳される。現在でも例えば、服喪の期間中は結婚式に出ないことなどがこれにあたる。

玉串(たまぐし)

榊の枝に紙垂(しで)や木綿(ゆう)といわれる半紙を切ったものと、麻の糸をつける。神に捧げる幣帛を簡略にしたものと言われる。玉串を神に捧げることにより、神に願いが伝わるものとされている。

霊代(たましろ)

御霊代、霊璽、神璽、依り代などとも呼ばれる。神、人、霊の代わりとして祭るもの。

魂よび(たまよび)

「魂よばい」「呼びかえし」などともいい、死者の名を枕元や屋根に登り呼ぶ習俗。故人の名を呼び蘇生を願うためといわれている。

追善(ついぜん)

供養を行って、死者の冥福を祈る事。「追福修繕」の略。

通過儀礼(つうかぎれい)

人の一生のうちに通過する誕生、成人、結婚、死亡など個人の社会的な位置が変化する場面で行われる儀礼のこと。人生儀礼ともいわれる。通過儀礼は、個人のステージ(位置・場面)が次のステージに移るときに発生するもので、発生から終了までは次のような事です。

  1. 社会からの分離=死者の発生。
  2. 移行の過渡期=死者については霊魂の行方が定まらない状態で、同時に遺族にとっては服喪の期間
  3. 社会への再統合=死者の霊魂は「死者の世界」に位置付けられ、また遺族はそこで服喪期間を終了する。

上記三つの段階を通過して死者の霊魂は、この世「生者の世界」からあの世「死者の世界」に移り安定して、遺族も喪失感や精神的混乱から立ち直り、故人の生前の役割を引き継いで、日常社会に復帰することができる。

墓(はか)

もとは埋葬した死体を見えなくするための塚(土盛り)を意味する言葉。遺体や遺骨を葬るなどして死者の霊を祀る所。奥津城(おくつき)などとも呼ばれる。現在ではその上に立つ石塔などを指して言うようになった。墓埋法では「墳墓」を「死体を埋葬し、または焼骨を埋葬する施設」と定義している。
日本で縄文時代に土壙墓から始まる墓の変遷は、弥生時代に方形周溝墓となり、古墳へと発展する。その後、仏教のが伝わると仏塔信仰の影響を受け、卒塔婆や五輪塔、板碑などを建てて供養する習慣が貴族を中心に広がっていく。 鎌倉時代から室町時代にかけて、影響から石塔はしだいに現在の角柱型のものに変化していった。また、墓地に寺院を建立したり(墓寺)、墓を設ける(寺墓)ようになるなど、寺院と墓地の結びつきもこの時代に始まっている。室町時代後期まで一般庶民は墓を造ることはなく死体は土中に埋めるか野に曝されたとみられている。
現在の墓の基本形である三層の墓塔(和型と呼ばれる石塔)は「福・禄・寿」あるいは「天・地・人」を表すが、墓に石塔を建てることが庶民にも大きく広がったのは特に江戸時代中期以降のこと。それ以前は、埋葬地に単に生木を挿したり、目印として自然石を置いたりの形態が多かった。また、生き返ったときに息が出来るようにと「息つき竹」を立てたり「イヌハジキ」または「モガリ」などと呼ばれる垣で囲うことや埋葬地の上に鎌をぶらさげることなど行われた。幼児の遺体は特別に子墓、子三昧、わらべ墓などと呼ばれる一般とは別の場所に埋葬するという習俗があった。こうした習俗は両墓制の地域では最近まで残っていた。
明治時代末期になると、火葬場の増加と家制度の強化から「家墓」が一般に始まるが、近年の高齢化社会の到来と生き方の多様化によって家族意識の変化から墓をめぐる状況は変わろうとしている。

付広告(つけこうこく)

死亡広告の横などに、その葬儀を施行する葬祭業者の名前を出すことがある。これを付広告という。

通夜(つや)

夜伽などとも呼ばれ、死者を葬る前に家族や近親者などが集まり、遺体の側で線香を絶やさない様にするなど、一晩中死者に奉仕するものであった。また死者に添い寝をする習わしの地方もあった。最近では、死亡当日にはごく近い親族や友人のみによる仮通夜を行い、弔問者を受け入れる本通夜をその翌日に執行するケースも見られる。
仏式では、僧侶による読経と焼香が行われ、寺院によってはその後に法話もある。さらに通夜振舞が用意される。
神式では、通夜祭・遷霊祭が行われる。遷霊祭とは故人の霊を遺体から霊代に移す儀礼であり、これによって故人の霊は神になるとされる。この後直会(なおらい)と呼ばれる通夜振舞の席が設けられる。
キリスト教式では本来通夜にあたる儀式は存在しなかったが、日本の慣習に倣い、カトリックでは通夜の儀式が、プロテスタントでは「前夜式」と呼ばれる儀式が行われる。
ごく近い親族や地縁関係者によって一晩中営まれるものであった通夜も、現在では会社関係者などの都合もあり、一般の会葬者が焼香をして帰る弔問の場となっている。実際、通夜に弔問する会葬者が告別式より多いといった状況も現れている。葬儀式の前夜ということで「(お)逮夜」という地域もある。

剃髪(ていはつ)

出家するとき髪や髭を剃る事。落飾ともいう。髪や髭は飾りと考えられており、全ての虚飾を去る意味で出家して仏門に入る際に剃る。浄土真宗ではこれを行わない。

伝染病予防法(でんせんびょうよぼうほう)

特に明治時代に流行したコレラなどの伝播を防ぐ目的を持っていた。明治30年公布。

  • 伝染病死による死体の移動を制限すること。(第9条)
  • 埋葬は死体の充分な消毒を行い、死後24時間以内でもよいこと(第11条)
  • 死体は原則として火葬すべきであり、土葬の場合その改葬は埋葬後3年を経なければならないこと。(第12条)

など、伝染病による死者の死体取扱について規定がある。これにより、公衆衛生のための火葬が行政の方針として推進された。この結果、火葬の普及につながっていった。

天台宗(てんだいしゅう)

伝教大師最澄(767年~822年)が唐に渡り、中国の天台宗をはじめ、密教、禅法、大乗の戒律(菩提戒)の四つを日本に伝えた事に始まる。比叡山延暦寺を総本山とする。最澄の死後は次第に密教としての性格を強める事となった。鎌倉時代に出現した新しい仏教宗派の創唱者がいずれも比叡山を経由して生まれていることからもわかるように、そのほとんどが天台宗を基礎としているといえる。後世に大きく影響をおよぼした天台宗は日本の仏教を語る上で欠かす事の出来ない存在といえる。

天台宗の葬儀(てんだいしゅうのそうぎ)

天台宗の葬法は伝統も古いだけに宗定のものはないが、導師による引導作法を基本とし、阿弥陀経の誦経を中心とした「葬送作法」と光明真言供養法にもとづく「光明供葬送作法」とに大きく大別できる。「天台宗法式作法集」を中心にして「台17行要抄」「天台常用法儀集」を参照してみると、剃髪式で三帰戒を授け、引導式で円頓戒を授けて出家者となした上で哀悼、歎徳の意を表すことを本旨としている。「葬送作法」は1.剃度式2.誦経式3.引導式4.行死式5.三昧式からなっている。(仏教儀礼事典より)

導師(どうし)

葬儀をはじめ仏教の儀式を中心になって行う僧侶の事。

卒塔婆(そとうば)

仏を供養して故人の追善にしようというもの。これを埋葬地に立てる。埋葬時や年忌、法要、お盆、お彼岸などに供養する時など一般に使われている。宗派では浄土真宗は用いない。一般的には「塔婆」と略して呼ばれ、木の板で長さも種類がある。

通夜(つや)

夜伽などとも呼ばれ、死者を葬る前に家族や近親者などが集まり、遺体の側で線香を絶やさない様にするなど、一晩中死者に奉仕するものであった。また死者に添い寝をする習わしの地方もあった。最近では、死亡当日にはごく近い親族や友人のみによる仮通夜を行い、弔問者を受け入れる本通夜をその翌日に執行するケースも見られる。
仏式では、僧侶による読経と焼香が行われ、寺院によってはその後に法話もある。さらに通夜振舞が用意される。
神式では、通夜祭・遷霊祭が行われる。遷霊祭とは故人の霊を遺体から霊代に移す儀礼であり、これによって故人の霊は神になるとされる。この後直会(なおらい)と呼ばれる通夜振舞の席が設けられる。
キリスト教式では本来通夜にあたる儀式は存在しなかったが、日本の慣習に倣い、カトリックでは通夜の儀式が、プロテスタントでは「前夜式」と呼ばれる儀式が行われる。
ごく近い親族や地縁関係者によって一晩中営まれるものであった通夜も、現在では会社関係者などの都合もあり、一般の会葬者が焼香をして帰る弔問の場となっている。実際、通夜に弔問する会葬者が告別式より多いといった状況も現れている。葬儀式の前夜ということで「(お)逮夜」という地域もある。

野辺送り(のべおくり)

葬列をなして、埋葬地まで死者を送る習俗のことです。告別式が発生するまでは葬祭の中心となった儀礼です。現在の野辺送りは出棺の挨拶が終わって、車で火葬場へ向かうことがそれにあたるでしょう。
昔は、故人と親しい人達が棺をかつぎ悲しみの行列をつくって火葬場や埋葬地まで送ったものですが、それが野辺のような場所であったところから野辺送りといわれたようです。
野辺送りは、遺体と同時に霊魂も送る儀式なので、魂が家に戻ってくるのを防ぐために、さまざまな送り方をしたようです。先頭の松明や提灯の火にあたるものに始まり、旗(銘旗)、竜頭、花籠、香炉、紙花(四華、四花)、膳、位牌、天蓋、棺など、いろいろなものが用意されました。

  1. 「火」は葬列の先頭に立ち、道案内、魔の祓い、通り火、火葬のための火種などの意味があったそうです。
  2. 「位牌」は白木の野位牌で、喪主が手にします。
  3. 「四華」は釈尊が涅槃に入られたときに、沙羅双樹が真白の花をつけたという故事からきています。

行列は棺の前後に晒布を述べて、血縁順に、この布を握って進みます。野辺送りでは、禁忌も多く、死霊が家に戻ってくる事を恐れて、途中で必ず迂回したり、火葬場に着いてから棺を三回ほどまわしたり、墓地の周りを回ったり、行き帰りの道を別の道を通るなどします。

読経(どきょう)

読誦、誦経。声に出して経文を読むこと。

得度(とくど)

出家して僧になること。「度」とは「彼岸にわたる」と言う意味で、サンスクリット語のパーラミター(波羅密)を意訳したもの。

特別受益者(とくべつじゅえきしゃ)

相続人の中に故人の生前、結婚の支度金などの特別の贈与を受けていた者のような特別の利益を受けた者を特別受益者という。この場合、その贈与分をいわば「生前に相続した遺産」と考えて、実際の遺産と贈与の合計を計算上の遺産として各人の相続分を計算する。特別受益者の相続分は、この計算上の相続分から贈与分を差し引いた分となる。

土壙墓(どこうぼ)

地面を掘りくぼめて造られた墓穴。縄文時代にこの方式の墓が出現した。死体は多くの場合、屈葬と言われる膝を折り曲げた形で納められた。

都市計画法(としけいかくほう)

都市計画に必要な事項を定める法律。都市計画では、その中心となる市街化区域において住居専用地域や工業地域などの「用途地域」を定め、また必要な都市施設として「公園、緑地、広場、暮園その他の公共空地」や「市場、斎場又は火葬場」を定める事が出来るとされる(第11条)。また都市計画地域内に建築物を建てる場合、都道府県知事の許可を受けなければならないことがある。(第29条)

年たがえ(としたがえ)

耳ふさぎと同様に死者と同年齢の者がその年齢分の豆を食べるなどして、死者との年齢を違えるようにするもの。耳ふさぎや年たがえに見られるように同年齢の者の間には特別の関係があると見られていた。

土葬(どそう)

死体を土の中に埋める葬法。わが国でも、火葬が普及するまで、ほとんどこの方法で死体の処理が行われていた。北アメリカをはじめ、今でも土葬が一般的な国も多い。土葬のことを法律的には「埋葬」という。なお、火葬後の遺骨を墓地に納める事を「納骨」、寺院や納骨堂に納める事を「仮納骨」「預骨」という。死体を埋葬した地を墓、塚、奥津城などという。

友引(ともびき)

暦法の六輝の一つ。相引きで勝負無しという日。朝晩は吉、昼は凶とする。友を引くとして、この日の葬儀を営む事を忌む俗信がある。