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お葬式豆辞典 ハ行

ハ行

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

仏法を廃し釈尊の教えを棄却すること。慶応4年神仏分離令が出された。これをきっかけに神社と仏寺との間に争いが起こり、地方によっては民衆による寺院建物の打ち壊しや文書の焼却などの仏教排斥の運動が起きた。この運動を廃仏毀釈(仏法を廃し、釈迦の教えを捨てる意)という。

墓(はか)

もとは埋葬した死体を見えなくするための塚(土盛り)を意味する言葉。遺体や遺骨を葬るなどして死者の霊を祀る所。奥津城(おくつき)などとも呼ばれる。現在ではその上に立つ石塔などを指して言うようになった。墓埋法では「墳墓」を「死体を埋葬し、または焼骨を埋葬する施設」と定義している。

日本で縄文時代に土壙墓から始まる墓の変遷は、弥生時代に方形周溝墓となり、古墳へと発展する。その後、仏教のが伝わると仏塔信仰の影響を受け、卒塔婆や五輪塔、板碑などを建てて供養する習慣が貴族を中心に広がっていく。 鎌倉時代から室町時代にかけて、影響から石塔はしだいに現在の角柱型のものに変化していった。また、墓地に寺院を建立したり(墓寺)、墓を設ける(寺墓)ようになるなど、寺院と墓地の結びつきもこの時代に始まっている。室町時代後期まで一般庶民は墓を造ることはなく死体は土中に埋めるか野に曝されたとみられている。

現在の墓の基本形である三層の墓塔(和型と呼ばれる石塔)は「福・禄・寿」あるいは「天・地・人」を表すが、墓に石塔を建てることが庶民にも大きく広がったのは特に江戸時代中期以降のこと。それ以前は、埋葬地に単に生木を挿したり、目印として自然石を置いたりの形態が多かった。また、生き返ったときに息が出来るようにと「息つき竹」を立てたり「イヌハジキ」または「モガリ」などと呼ばれる垣で囲うことや埋葬地の上に鎌をぶらさげることなど行われた。幼児の遺体は特別に子墓、子三昧、わらべ墓などと呼ばれる一般とは別の場所に埋葬するという習俗があった。こうした習俗は両墓制の地域では最近まで残っていた。

明治時代末期になると、火葬場の増加と家制度の強化から「家墓」が一般に始まるが、近年の高齢化社会の到来と生き方の多様化によって家族意識の変化から墓をめぐる状況は変わろうとしている。

墓穴掘り(はかあなほり)

古くは土葬中心の時代に埋葬のための墓穴を掘る仕事の事。非常に重要な役割ということで、大役などと呼ばれ、組内や講の人々がその任についた。忌みのかかる役割とされ、この役目に決まった人には酒食の振る舞いがなされた。

拍手(はくしゅ)

拍手(かしわで)ともいう。神道においては上半身を90度前方に傾け拝み拍手が礼拝の方法となる。通常、2拝2拍手1拝する。一般には音をたてる拍手が行われるが、神葬祭では1年祭までは「しのび手」といい音をたてずに拍手を行うのがしきたりである。

祓い(はらい)

神に祈って罪、穢れ、災いなどを取り除く事。元の状態に戻すために行う行為。

ハレとケ(はれとけ)

晴れ着の言葉にも表されるように、祭りや正月のような非日常的な時間や場所の事をハレといいます。非日常という意味では葬儀もハレの場である。反対語の「ケ}(褻)は日常的な普段の生活の状態を表します。

彼岸(ひがん)

正しくは「彼岸会(ひがんえ)」といいます。春分の日、秋分の日を中日と七日間を春、秋分の日を中日とする七日間が秋。春分、秋分の日をはさんで前後1週間、先祖の供養をしたり、お墓参りをする行事です。インドにも中国にも見られない日本独自のものですが、「彼岸」という言葉自体は仏教用語です。サンスクリット語の「パーラミター(波羅密多)」の漢訳の「到彼岸(とうひがん)」を略したもので、向こう岸すなわち仏の世界に至ることを意味します。仏の世界に至るために実践しなければならないとされる六つの徳目が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(布施、持戒、忍辱、精進、禅正、智慧)であります。つまり本来は先祖供養のための日ではなく、仏の世界に行くことを願って慎む期間とされていたのでしょう。春分、秋分の日は昼夜の長さが同じになるので、仏教の説く「中道」の教えにかなうとか、太陽が真西に沈む期間なので、西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいとか、いろいろな説があるようです。が、日本では「暑さ寒さも彼岸まで」というように、季節の変わり目にあたり、昔から農耕の1つの区切りとして祭りが行われていた時期でもあり、それが仏教の思想と結びついて、年中行事として定着したのでしょう。この期間は寺院では「施餓鬼」などの法要が催されたり、地獄、極楽のの絵図をかけて説法したり、念仏や題目の講が開かれたりしています。日常、仏寺に無関心な人も、この時期だけはお墓参りすという人がほとんどでしょう。

非業の死(ひごうのし)

思いもかけない災難で死ぬことなどをいう。非業の死を遂げた死者の霊は、「怨霊」となって生者に干ばつや嵐などの災いをもたらすと考えられていました。そのため特別な方法でその供養が必要とされたようです。特別な供養が必要とされたのは、出産時の死亡や子供を残さずに若くして亡くなった死者、災害死者など。特に平安時代は、怨霊は御霊と呼ばれ、これを祀る信仰が盛んとなった。その一例として菅原道真を祀る天満宮は有名です。京都の祇園祭はこうした御霊を鎮める鎮魂祭として行われています。

棺(ひつぎ)

「柩」とも書く。遺体を納める木製の箱のことで、古来は座棺がほとんどであり、寝棺は高貴な人のみのものであった。現在ではほとんどが寝棺になっている。素材は高級なものからヒノキ、モミ、などの原木、キリなどの合板、「プリント」と呼ばれるベニヤに木目を印刷した物まで多彩にある。合板の中には、フラッシュ棺といい板の中が空洞で軽量な棺もある。表面には彫刻をしたものやビロードなどの布張りのものなどがあり、形状にも種類がある。蓋の部分に丸みを持たせたアール(R)棺や、本体と蓋の組み合わせ方を工夫したインロー型などがある。

死体解剖保存法(したいかいぼうほぞんほう)

憲法第25条で規定する「国民の生存権」(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)の理念に基づいて、その生活の保護と自立への援助を定める法律。生活、教育、住宅、医療、出産、生業、葬祭の7種類の保護について定められている。

  1. 葬祭扶助の範囲は①検案②死体の運搬③火葬又は埋葬④納骨その他葬祭のために必要なもの(第18条)
  2. 扶助は、金銭給付によって行う(第37条)などの条文がある。

風葬(ふうそう)

死体を野山や洞窟などに放置して自然にゆだねる葬法です。風葬された屍は、自然に風化されたり、動物に食されたりしましたた。白骨化するには条件により30日程度から3年かかるとされるます。風葬は、日本の庶民の葬法として中世までは一般的なものであったが、川や道端への文字通りの死体遺棄も少なくなかったようです。一般的には葬地と言われる地に死体を運び、死体に布などをかけるだけで野に曝したり、洞窟の中に放置・安置した。 死体を置く場所により、野葬、林葬、洞窟葬、樹上葬、台上葬などと分けられます。
沖縄など南西諸島で、洞窟の中あるいはその中の大甕に死体を入れ、風化して白骨化を待つのも風葬の一種とされる。

フェティシズム(fetishism)

呪物崇拝の事。心理学では性的嗜好の意味でも使われていますが、宗教的には神社のお守りのような、持ち運びが出来る身近な物への崇拝の感情のことです。

読経(どきょう)

読誦、誦経。声に出して経文を読むこと。

巫女(みこ)

神社において神に奉仕する女性、あるいは死霊の口寄せなどを行う女性。元々はシャーマンとして神の言葉を伝える祭りの中心的存在であったが、現在の神社では祭祀の執行を助ける立場にある。「ふじょ」とも読む。

穢れ(けがれ)

死者の出た家で一定の時間、通常とは異なる生活を送る習慣。「忌」と呼ばれるものと「喪」と呼ばれるものの二種類の期間があります。忌は四十九日の忌明けまでで、その期間を忌中といいます。その後は喪(服)と呼ばれます。服喪する期間は死者との関係によって異なるとされていますが、一般的には一周忌までの約1年を指し、その間を「喪中」と呼んでいます。忌中時には家に帰り、社会との日常付き合いを遠慮し、喪中時には神社詣でや祭りへの参加も遠慮する事とされています。最近では忌中を初七日まで、喪中を四十九日までと簡略化する傾向です。また、喪に服するために喪服を着用するのですから、本来は喪服を着用するのは遺族です。元来の日本の喪服は白であり、明治中期以降欧米の風習を採用し黒となりました。昭和20年ごろまで都会でも白の喪服が見られたようです。この期間は、遺族は死穢に染まっているという事から社会生活から隔離される期間と理解されていますが、遺族が死者の弔いに専念して家族をなくした悲嘆を癒し、精神的に日常生活に復帰するための準備期間であるとされることのほうが重要です。

仏教(ぶっきょう)

仏陀の説いた教え。紀元前5世紀ごろインドのガンジス川中流地方に興った。世界3大宗教の一つ。

その教えの根本は、人生は苦であるととらえ、苦の原因の究明と、さらに苦から自己を開放する事である。釈迦が活躍した時代の仏教は原始仏教と呼ばれるが、その死後百年ほど経って原始仏教は戒律とを重視し自己の完成を目指す小乗仏教と在家の信者を中心に大衆の救済を重視する大乗仏教が生まれた。前者はスリランカ、ビルマ、タイなどに伝えられて南方仏教とも呼ばれ、後者は中国や朝鮮、日本、チベット、モンゴルなどに普及し、北方仏教とも呼ばれる。

仏教と葬儀(ぶっきょうとそうぎ)

現在の日本で多くの人々が仏教と接するのは、ほとんどが死との関わりにおいてである。こうしたことから葬式仏教などともいわれるが、仏教が死者に関わる儀礼を担ってきたのは、1つには仏教が死生観や死後の世界について理論的な体系を整えていたことによる。また死体という「穢れたもの」と人間に災いをもたらすかもしれない死霊を、お経のある種呪術的な力で清め、鎮めることが期待されたためとも考えられる。仏式葬儀では、各宗派の教義の違いを反映して、様々な儀礼が行われるが基本は死者を仏の弟子とし、往生ないし成仏させることにあるといえる。

浄土(じょうど)

仏国土ともいい、仏の住まわれる清らかな世界のこと。阿弥陀仏の西方浄土信仰が盛んになるとそれを指すようになった。

復古神道(ふっこしんとう)

わが国の古典に立脚し、儒仏の説をまじえない神道説。江戸時代に荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤などの国学者によって唱えられた。他宗教の影響を受ける以前の「古事記」や「日本書紀」を研究することにより、純粋な神道の復興をめざした。この思想は明治維新の主柱とされた。

仏舎利(ぶっしゃり)

釈尊の遺骨のこと。舎利は梵語(古代インドの言語)を漢字に直したもので、遺骨を意味する。

仏性(ぶっしょう)

一切衆生が本来具わっている仏としての本性。

プロテスタント(protestant)

16世紀にルター、ツゥイングリ、カルヴァンらの宗教改革の結果、プロテスタントの各派が発生してカトリックから分離した。ルター派、長老派をはじめさまざまな教派がある。信者数は4億人といわれる。

プロテスタントの葬儀(ぷろてすたんとのそうぎ)

次の手順で進行します。

  • 出棺 カトリックと異なり、特に儀式はありません。棺の蓋を閉めて献花し、自宅で静かに故人との別れを惜しみます。
  • 参列者着席 教会では会葬者が先に着席します。席順は最前列が遺族・近親者・弔辞の朗読者で、一般会葬者は後方の席ならどこでもかまいません。オルガンが奏楽されると会葬者は起立しそこに先導者、棺、遺影(遺族が持つ)、遺族の順に入場します。棺は教会中央に安置し、白い花でかたどった十字架や生花で飾ります。遺影は棺の前に置きます。
  • 讃美歌斉唱(参列者一同)
  • 聖書朗読(司会者)
  • 祈祷(司会者)
  • 讃美歌斉唱(参列者一同)
  • 故人の略歴(友人代表)
  • 式辞または説教 牧師は説教を行うとともに遺族を慰めて故人を偲ぶ言葉を述べます。このときに故人の略歴朗読を行うこともあります。
  • 祈祷(牧師、一同は起立して黙祷。
  • 弔辞 弔電の披露
  • 讃美歌斉唱(参列者一同) 起立し頌栄(神の栄をことほぐ、グロリア)を斉唱します。
  • 祈祷(牧師、一同は起立して黙祷
  • 後楽(オルガン、一同は黙祷)
  • 遺族代表の挨拶

つづいて告別式に入り、牧師、喪主、遺族、友人、知人の順で祭壇に献花します。冠婚葬祭おつきあい事典 婦人生活社より

分骨(ぶんこつ)

遺骨を分けて2箇所以上のところに納骨すること。分骨の始まりは釈尊の入滅後、舎利(遺骨)が8箇所に分けられて納められたことに由来する。現在は衛生管理の点から、分骨する場合は改めてもう1通埋葬許可証が必要で、遺族関係者をはじめ、埋葬地管理人の立ち合いのもと行わなければならない。

幣帛(へいはく)

神に奉献される進物の総称。「みてぐら」ともいう。(中国で進物、礼物に絹を贈る事から)広辞苑より

方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)

弥生時代、古墳時代初期に見られる墓。墓域を幅1m前後の溝で方形に区画したもの。家族墓で、集団墓地を構成する事が多い。(広辞苑より)

戒名(かいみょう)

授戒によってつけられる仏教徒としての名前。本来は仏法に帰依した者に対して生前に授けられる名前であるが、江戸時代の檀家制度以降は「没後作僧(ぼつごさそう)」といい、故人にたいして授けられることが一般的になった。現在では、葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影をもって並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。また各宗教によって法名、法号ともいわれています。

戒名(かいみょう)

授戒によってつけられる仏教徒としての名前。本来は仏法に帰依した者に対して生前に授けられる名前であるが、江戸時代の檀家制度以降は「没後作僧(ぼつごさそう)」といい、故人にたいして授けられることが一般的になった。現在では、葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影をもって並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。また各宗教によって法名、法号ともいわれています。

法要(ほうよう)

仏教では、冥土に行った死者への閻魔の庁の審判が行った日から七日目ごとに七回開かれるとされています。このため遺族は、死亡した日から七日目ごと七回を忌日とし、それぞれの日に故人の冥福をの儀式を行う慣わしがあります。この儀式を法要といいます。なかでも特に重要な忌日とされている初七日、五七日、七七日には親類や故人とごく親しかった友人、知人などを招いてその法要をいとなみ、寺院や自宅で僧侶の読経の後、精進料理や茶菓子をふるまいます。一周忌、三回忌(満2年)、七回忌などの年忌にも法要をいとなみ、仏を供養します。その後は7年目、13年目、17年目、25年目、33年目に営むのが一般的であるが、50年目までを区切りとするところもある。浄土真宗では、故人の供養のための法要は必要としないとの考え方に立つ。

霊園(れいえん)

共同墓地を表す言葉として一般に使われている。現在、法律上は「墓苑」という言葉で使用されている。

墓制(ぼせい)

埋葬・陵墓に関する制度。

墓石(ぼせき)

墓に石を使う風習は古代縄文時代からあった。死者の霊を封じ込めて生者に災いを及ぼさないように死体に石を抱かせたり、埋葬した上に石を置いたのである。庶民の墓は江戸時代の上部に笠のついた「笠塔婆」などから現在の「和型」と呼ばれるものに変わって行く。明治時代に入ると、家墓(先祖代々の墓)が増え、それまでの仏像・仏の種子(仏などを梵字一字で表したもの)・名号・題目のレリーフが家紋に変わった結果、墓石から仏塔の要素がなくなった。近年、墓の形は「洋型」と呼ばれる背が低く横長で横書きで彫られるものも増えている。「憩」「寂」などの抽象的な文字が彫られるものも増えている。さらに壁墓地という造成された壁面下に遺骨を納め、壁面に墓碑などを埋め込む形態のものもあり多様化している。

菩提(ぼだい)

仏の悟りの事。煩悩を絶って真理を知り得られる境地。一般には菩提寺とか菩提を弔う、菩提心があるなどと使われる。

墓地(ぼち)

墓は勝手にどこにでも建てていいというものではない。たとえ自分の家の庭であっても許可されない。それを規定しているのが「墓地埋葬等に関する法律」である。この法律に基づいて公に墓を建てるための場所と認められている一定の区域を「墓地」という。最近は「墓園」「霊園」という言いかたもよく使われている。墓地は、管理責任者の違いによって「境内墓地」「公営墓地」「民営墓地」の三つのタイプに大別できる。日本人の「仏教のしきたり」ものしり辞典より

墓地、埋葬法に関する法律(ぼち、まいそうほうにかんするほうりつ)

火葬や墓に関する基本的な法律。略して「墓葬法」と呼ばれる。明治時代に制定された「墓地及び埋葬取締規制」を改正して、昭和23年に公布された。墓地の設置や火葬・埋葬などの行為が国民の宗教的感情に基づいており、特に「公衆衛生その他公共福祉の見地から支障無く行われる事」を目的としている。

  • 死後24時間以内の埋葬」または火葬の禁止(第3条)
  • 埋葬、火葬、改葬には市町村長の許可が必要であること(第5条)
  • そのために許可証(埋火葬許可証、改葬許可証)を公布すべきこと(第8条)
  • 墓地 納骨堂 火葬場の経営には都道府県知事の許可が必要であること(第10条)
  • 墓地 納骨堂の管理者は、埋火葬許可証や改葬許可証を受理してから5年間保存する義務があること(第16条)

などが規定されている。また第4条1項には「埋葬又は焼骨の埋蔵は墓地以外の区域に、これを行ってはならない」とある。これは焼骨を埋蔵する場合には墓地に限るのであり、自宅での遺骨保存や散骨まで規制するものではないと考えられている。ただ散骨等についての記述がない点など実情に合わない部分もあるなどとして、新たな法制化を求める動きもある。

盆行事(ぼんぎょうじ)

お盆。正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。サンスクリット語のウラバンナを音訳したもので、「逆さまにつるされた苦しみ」という意味があります。先祖の霊を各家庭に迎えて供養する期間として正月と並んで最も身近な日本の国民的行事です。現在都市部では七月十三日から十六日まで、地方では八月十三日から十六日まで行われるところが一般的です。この行事の由来は、釈尊の高弟であった目連が「餓鬼道」に堕ちて苦しんでいる母を救うためにお釈迦様に教えを請うと、七月十五日の「自恣(じし)の日」(夏安吾の最後に僧たちが集まって懺悔し合う日)に僧たちに飲食(おんじき)を供養しなさいと教え、それによって母は救われました。それが盆の始まりだとされています。日本には推古天皇のとき宮中の正式行事として中国より伝わり、のち民間の祖霊信仰と習合し、一般庶民に広がっていったものです。十五日を中心に十三日は迎え火の日、十六日は送り火の日とされ精霊を家に迎えこれを祀る行事の事を言います。精霊を迎える為に設ける棚は「精霊棚」「盆棚」などと呼ばれています。京都や各地で行われる大文字焼きは送り火の行事。お盆の期間に僧侶は棚経に回り、墓参をします。

本葬(ほんそう)

遺族近親者だけで火葬までの儀式を済ませておいて、日を改めてもう一度外部の人に広く参加してもらって葬儀を行う事。社葬などの大型の葬儀となることが多い。

煩悩(ぼんのう)

人の心身を悩ませ煩わせる一切の妄念。貪(むさぼる)、瞋・じん(いかる)、痴・ち(正しい道理をわきまえない)、慢、疑、見を根本とする。これらの煩悩を取り除き、仏性を磨くことが悟りへの道となる。

本末制度(ほんまつせいど)

17世紀、江戸幕府により行われた、寺院統制の制度。本山・末寺の関係を法制化して固定させ、本山を通じて各宗派の寺院を管理した。