いましめ、さとし。ちなみに五戒とは
の五つを指す。
お墓を移転する事。改葬には法的手続きが必要である。 日本人の「仏教のしきたり」ものしり辞典より
授戒によってつけられる仏教徒としての名前。本来は仏法に帰依した者に対して生前に授けられる名前であるが、江戸時代の檀家制度以降は「没後作僧(ぼつごさそう)」といい、故人にたいして授けられることが一般的になった。現在では、葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影をもって並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。また各宗教によって法名、法号ともいわれています。
昭和54年公布。
を定め、また第5条には、死体からの摘出に当たっては礼意を失わないように特に注意しなければならない旨が強調されている。
拍手(かしわで)ともいう。神道においては上半身を90度前方に傾け拝み拍手が礼拝の方法となる。通常、2拝2拍手1拝する。一般には音をたてる拍手が行われるが、神葬祭では1年祭までは「しのび手」といい音をたてずに拍手を行うのがしきたりである。
両手の掌を体の前で合わせ目を閉じ礼拝すること。インドの礼法が伝えられたもの。
商品の代金を分割払いで販売する取引について、その公正な運用を図ることを目的とする法律。 昭和48年に改定された結果、冠婚葬祭互助会はこの法律によって「前払式特定取引業」に位置付けられ、その規制を受けることになった。互助会は前払い式特定取引業の内、役務(労働)の提供を受ける者(消費者)から役務の提供に先だって、その対価の全部または一部を2ヶ月以上の期間、3回以上に分割して受領するもの(第2条)とされる。
割賦販売法施行令はこの役務の内容について「婚礼(結婚披露を含む)のための施設の提供、衣服の貸与その他の便益の提供及びこれに付随する物品の給付」や「葬式のための祭壇の貸与その他の便益の提供及びこれに付随する物品の給付」を挙げている。前払特定取引業は
などと規定されている。この前受金保全のため、前受金を供託する保証会社が設立されている。
ローマ教皇を中心とする教会。「カトリック」とは「普遍的な」「公同の」という意味である。キリストの死後、各地に建てられた教会の中で、キリストの弟子ペテロの殉教地ローマの教会が大きな勢力を持つようになり、世界のキリスト教を統合する中央集権的組織を作り上げた。現在信者は全世界に及び、その数は9億人ともいわれる。
意味合い的には人肉を食すということです。死者の骨または肉の一部を食べたり、かじったりする風習。古代の葬法の一つだが、近代に入っても九州以南の一部では見られた。一見野蛮な行為のようにも思えるが、家族などの遺骨(遺体)の一部を食べることにより、死者と一体となり、死者を自分の中で生かす感情があるとされ、死者への愛情の現れと考えられている。
貨物自動車による運送事業において守らなければならないことがらを規定する。平成元年交付。平成2年の法律改正により、霊柩運送事業はこの法律によって規制を受けるようになり、また事業は免許制から許可制に変わるなど自由化が進んだ。この法律において霊柩運送事業は一般貨物自動車運送事業に位置付けられる。
などを規定する。
墓の地下あるいは地上に盛り土をして作られた石室のこと。「かろうど」とも読む。通常は「カロート」とカタカナで書かれる。遺骨のまま石室に安置する場合と、「土に帰す」の意味から骨壷から出して石室内にまく場合があるため床部分の構造も違う。
「荼毘」とも言う。古くはインドで行われた。釈迦が入滅時に、その遺体が荼毘に付されて以来、火葬が仏教徒の葬法となりました。古代日本においては、死者は白骨化して初めて浄化される存在であり、腐敗途中に有る死体は死霊が取り憑いた存在として忌避された。そこで、火葬は死体を焼却する事によって肉と骨の分離を素早く行う事が出来ることから、死者や死霊に対する恐怖の念を緩和することに役立ったと思われる。わが国では、文武天皇の四年(700年)、道昭という僧が遺言により火葬されたのが始まりです。宮廷では大宝三年(703年)持統太上天皇の葬儀が火葬で行われているとされていますが、これは記録上のことで、実際にはもっと早くから行われていたようです。当時は皇族などごく一部の人々のみのものであったが、中世後期以降になると北陸の浄土真宗地帯を中心に火葬は庶民にも普及。近世になり江戸中期以降は特に武家を中心に普及した。火葬は元来は薪をつみ上げた野焼き方式であったが、近世に入るとかま式となり、焼場は各地の仏教寺院に置かれ、三昧所または火家と呼ばれた。当時の火葬率そのものは二割未満で、圧倒的多数は土葬であった。
近代に入ると、明治政府は伝染病予防のために公衆衛生の観点から火葬を推進した。太平洋戦争後は行政が積極的に近代化と福祉の観点から火葬を推進し、行政の責任において火葬場を設立しました。近年は火葬場建設反対運動への配慮もあって、煙の再燃処理を行い、無臭、無煙、無公害化を実現した火葬場が年々増えてきています。最近では「斎場」と呼ばれることが多い。
欧米の火葬が骨灰にするのに対し、日本では遺骨を大切にする風習から、遺骨の形が残るのほうが良いとされる。火葬後の「拾骨(収骨、骨上げ)」の儀礼も葬儀の重要な位置を占める。日本列島の東部は主として全部収骨であり、西部は一部収骨と大きく異なっている。
神仏などすぐれたものに服従し、すがること。帰命ともいう。自分のすべてを捧げて信奉すること。「南無阿弥陀仏」の「南無」も帰依と同じ意味の語である。
遺体の頭を北に向けて安置する事。釈尊が入滅のとき、頭を北に、顔を西に向けていたのに倣ったとされる。神式の場合も通夜北枕で安置する。北枕に出来ない時は、西枕でも良いとされている。
精進上げ、忌中祓い、お斎(おとき)などともいう。本来は、仏式ならば死後四十九日の間、精進して死者の供養を行い、忌明けを期して親族が集まり、精進落としで「なまぐさもの(肉、魚等)」を食べ通常の生活に戻る象徴とすることであったが、現在では葬儀当日に初七日の法要などと併せて精進落しの席を設けることが一般的になりつつある。これは故人との共食、会葬者への振舞、手伝ってくれた人へのお礼などの気持ちが含まれた葬儀の合理化の手段といえる。
喪家の玄関先に簾を裏返しにし、その上に黒枠で「忌中」あるいは「忌」と書かれた半紙を貼ったものを掛ける風習。現在でも広い地域で行われている。
年長者が年下の死者を送ったり供養したりすること。逆縁の場合には、例えば子の葬列には親は加わらないなどの風習が今でも一部地域では残っている。
生前にあらかじめ自分の為に仏事を修して死後の冥福を祈る事。
神道亡くなる事をこう言う。死者の肉体から霊が分離して「現世(うつしよ)」から元の世界である「幽冥世(かくりよ)」に帰るという考えから出ている。
ローマ・カトリックの教会の首長。またバチカン市国の元首。(ローマ)法王、ローマ司教などとも呼ばれるカトリックで最高の権威者で、70名の枢機卿の中から選ばれる。
憲法第25条で規定する「国民の生存権」(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)の理念に基づいて、その生活の保護と自立への援助を定める法律。生活、教育、住宅、医療、出産、生業、葬祭の7種類の保護について定められている。
宗教としての神道の教派の総称で神道大教、神習教、御岳教、神理教、実行教、黒住教、金光教、天理教、禊教、扶桑教などの神道13派と呼ばれる神道系教派、またはその他の神道系の新興宗教の総称。なかでも神道13派は神道の宗教的伝統を基にして江戸時代の末に形成されたもので、明治政府に公認され庶民に広まった。
遺産分配にあたり、共同相続人の中で、被相続人の生前の事業への労務提供や療法看護になどによってその財産の維持、増加に特別の寄与をした者が受ける分け前。広辞苑より
死の穢れを祓い日常に戻る。「浄め」とも書きます。禊の様に穢れに染まったものは沐浴や水ごり、塩ごり、海水浴びなどで忌籠りをして浄化したといわれる。海水、塩、水はしばしば清めに有効であると理解された。それが次第に退化して水に足を浸したり、塩を舐める程度になり、最近では会葬礼状とセットになった袋入り清め塩が主流です。敷き詰められた塩を踏む「踏み塩」もあります。塩は食物などの腐敗を防ぎ、その状態を永続させるという性質を持っている。このため塩は古くからどこの国でも生命や清浄のシンボルとされ、呪術的、宗教的な意味が付与された。旧約聖書においても神と人間、人間と人間の間の塩の結合が両者の誓いの不変を表し、そこから塩の契約の考えが生まれた。(民数記)。日本では相撲の土俵入りのときに撒いたり、飲食店の入り口に置いたりして、そこが特別に清浄であることを示すのに使われている。清めには酒食が有効であるとの理解から、葬儀の食事の場を「お清め」とする俗信も関東地方を中心として広がっている。
現在の東欧、ロシア地方を中心に信仰されている。教義及び儀式を重んじ、象徴的、神秘的傾向が強い。東京御茶の水にあるニコライ堂は、ロシア人宣教師ニコライの名を冠したギリシャ正教会の寺院として有名である。
語源はポリネシア語のtabu,tapu聖なる意味からきています。超自然的な危険な力を持つ事項に対して社会的に厳しく禁止される特定の行為。触れたり、口に出したりしてはいけないとされる物や事柄のことです。「禁忌」と訳される。現在でも例えば、服喪の期間中は結婚式に出ないことなどがこれにあたる。
神仏などすぐれたものに服従し、すがること。帰命ともいう。自分のすべてを捧げて信奉すること。「南無阿弥陀仏」の「南無」も帰依と同じ意味の語である。
神職の位階の1つ。現在の神社本庁が定めた位階の中では最も高く、以下権宮司(ごんのぐうじ)、禰宜(ねぎ)、権禰宜とつづく。神社の管理、経営をつかさどる。
葬儀においては飲食が重要な意味をもつ。通夜の飲食や出棺に際しての「出立の膳(ワカレメシ)」「一膳飯」などと呼ばれるものや、「お斎」「精進落し」「仕上げ」などがある。飲食は交わりを象徴するもので、死者と食事を共にすることによって最後の交わりを行ったと考えられるため、飲食の席では死者用にもお膳が用意される事が多い。
現在は葬儀式終了後に火葬場から戻ってきた時に参列者の酒食のふるまいをします。このときに魚や肉を出すので「精進落し」といわれています。「精進」とは一心に仏道を修行することで、特に魚や肉を食べないことではありませんが、一般的には精進というとなま物を食さない意味に理解されています。昔は家族の死後四十九日の忌中には不浄なものは一切避ける習慣からなま物をとらずに、忌明けになったところで精進落としをしていました。現在では僧侶やお世話になった人達への慰労感謝の宴席をさしているようです。このときに喪主(または遺族代表)が葬儀が無事済んだことのお礼を述べます。四十九日の中陰明けにつくる「四十九餅」にも忌明けを期した清めの意味合いがあると思われます。
現在ではクミ(組)、クミウチ(組内)とも言う。近隣の何件かの家を単位にして葬式全般を行う地域の組織。近年では会社関係などの組織が葬式組の替わりを務める場合も多くなっている。
霊前、仏前に捧げられる香、生花、菓子、果物、花環などの品々のこと。普段、仏壇や仏前への供養は五供(ごくう)、つまり香・生花・蝋燭・お茶か水・仏飯の5種類が基本となるが、地方によっては五穀や野菜を供えるところもあります。神式は抹香や線香は供えません。キリスト教では食べ物や飲み物は供えず、生花だけを飾ります。
よい果報をもたらすもととなる善行。戒を守る、布施を行う、善行を重ねる、仏を供養することなどが、功徳を積むことにつながると考えられた。善行の結果として与えられるご利益。
残された家族(遺族)が体験する「悲しみの中で行う作業」の事。
晴れ着の言葉にも表されるように、祭りや正月のような非日常的な時間や場所の事をハレといいます。非日常という意味では葬儀もハレの場である。反対語の「ケ}(褻)は日常的な普段の生活の状態を表します。
三宝(仏・法・僧)に供物を捧げて敬う事。または死者の冥福を願って読経などを行い回向すること。
刑法の具体的実現を目的として一定の手続きを規定する法律。
などが定められている。
公衆道徳に反するような比較的軽微な罪に対し規定する法律。
に対して情状により、その刑を免除し又は拘留及び科料を併科する事が出来るとある。
経・論などの中に韻文の形で、仏を讃える詩のこと。
死者の出た家で一定の時間、通常とは異なる生活を送る習慣。「忌」と呼ばれるものと「喪」と呼ばれるものの二種類の期間があります。忌は四十九日の忌明けまでで、その期間を忌中といいます。その後は喪(服)と呼ばれます。服喪する期間は死者との関係によって異なるとされていますが、一般的には一周忌までの約1年を指し、その間を「喪中」と呼んでいます。忌中時には家に帰り、社会との日常付き合いを遠慮し、喪中時には神社詣でや祭りへの参加も遠慮する事とされています。最近では忌中を初七日まで、喪中を四十九日までと簡略化する傾向です。また、喪に服するために喪服を着用するのですから、本来は喪服を着用するのは遺族です。元来の日本の喪服は白であり、明治中期以降欧米の風習を採用し黒となりました。昭和20年ごろまで都会でも白の喪服が見られたようです。この期間は、遺族は死穢に染まっているという事から社会生活から隔離される期間と理解されていますが、遺族が死者の弔いに専念して家族をなくした悲嘆を癒し、精神的に日常生活に復帰するための準備期間であるとされることのほうが重要です。
寺院の本堂の区画のうち仏像をを安置してある場所を内陣といい、手前にあたる部分で礼拝のための場所を「外陣」という。一般の参拝者は内陣には入れない。
犯罪とそれに対する刑罰を定めた法律。明治40年公布。「礼拝及び墳墓に関する罪」(第24章)に墳墓発掘の罪(第189条)、死体等の損壊・遺棄などの罪(第190条)などがある。
師より弟子へ正法を相続すること、もしくはその系統を記したもの。仏式の葬儀では、出棺前にこれを棺の中に入れ、死者が仏の弟子であることを証明する派もある。
船舶や航空機を介して国内に伝染病が侵入しないように予防措置を講じるための法律。
現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達する事。
キリスト教では遺体や棺に献香(香をたく)、聖水をまいて祈るのがしきたりで、日本では献花なった。焼香の代用から始まったものだが、最近は焼香も広く行われる様になってきた。
顕教とは言葉や文字を用いて仏の教えを説いたもの。密教以外のすべての仏教を含む。それに対して密教とは、手に印を結んで、真言(神聖な力を持つ言葉)を唱え、仏と自己が一体であることを念じ、仏の神秘的な力によって仏の悟りそのものに到達しようとする秘法のこと。日本での密教には、空海による東密(真言密教)と最澄を祖とする台密(天台密教)がある。
献体とは故人の生前の希望により遺体を大学に寄贈することをいう。献体される遺体は、告別式の後出棺されそのまま献体先に運ばれます。遺骨となって戻ってくるまでに1~2年かかるため、後飾りの祭壇には遺骨を祀る替わりに遺髪を取っておいても良いでしょう。尚、最近の献体に関する法律によれば、「死亡した者が献体の意思を書面により表示している」「遺族がいないか、遺族がこれを拒まないとき、献体を受けることが出来るとされている。
建築物の敷地、構造、設備、用途などに関して規定し法律。
近隣の地域の中で同じ信仰を持つ人々の集まり。講中と呼ばれる事もある。このような講が葬式組の役割を果たす事もあった。講には他に頼母子講など経済的な扶助組織もある。
様々な香料、香水を混ぜ合わせたもので、焚く事(薫香)や体に塗る(塗香)ことのほか、仏の供養(焼香など)にも用いられる。 香は仏の食事とも言われ、葬儀の際に持参する「香奠」とはもともと香を供える意である。また香料を松脂などで固めて棒状にしたものが線香である。
複数の遺体あるいは遺骨が埋葬・埋蔵された墓のこと。合葬墓、集合墓ともいう。「先祖代々の墓」や「夫婦墓」がこれにあたる。最近では増加する無縁墓の対応として合祀墓を積極的に推進する寺や霊園もある。
香典とは、死者の霊に手向ける香の代金という意味。葬儀において死者の霊前に捧げるお金や物品をいう。昔は米や麦、野菜などの物品を供したが、現在ではその代わりに現金を包むようになった。現在は宗教に関係なく、霊前に供える現金を香典といいます。葬儀における相互扶助の意味合いが強く、血縁の近い者ほど高額の金品を出す。香典の表書きは仏式の場合、「御霊前」「御仏前」「御香典」などとするのが一般的だが通夜の際には「御悔」「通夜見舞」などとする地域もある。
神式の場合は、「御玉串料」御榊料」「御神前」、キリスト教式の場合は本来生花や花環を送るのが習慣だったが、最近では「御花料」、カトリックの場合「御弥撤料(おみきりょう)」などと書いて贈ることが一般的になっている。香典を受け取った喪家では、それを香典帳に控え、香典返しや他家の葬儀が発生した際に使用する。このように香典の表書きは、宗教によって違うので、市販の不祝儀袋を使うときは注意が必要です。宗教がわからないときは、どの場合にも通用する「御霊前」とするのが良いでしょう。
七七日忌明を迎えた時点で受け取った香典に対し返礼品を忌明の挨拶状と共に送るあるいは直接挨拶に出向くことをいう。最近では予め香典返しの品を用意しておき、葬儀当日に会葬者に渡す事(当日返し、その場返し)が多くなっている。
法律中では、行旅中に死亡し引取り者のない者、住所・氏名の不明な引取り者のない死亡者などについて、死体所在地の市町村によって公告を行い、また死体の埋葬や火葬を行うことなど、その取扱について規定されている。
香を焚くための道具。三具足の1つで机の上などに置いたまま使用する居香炉や手に持って使う釣香炉などがあり、材質は陶磁器、漆器、金属性がある。
巡礼または仏教信者などが歌う和讃にふしをつけたもの。
最低これだけは必要な仏具として、香炉(線香立て)、花立(花瓶)、燭台(ローソク立て)の三つのことを三具足と呼んでいる。配置の仕方は、中央に香炉、向かって右に燭台、左に花立の順に置く。
戸籍制度の維持を目的として規定される法律。・死亡届は、死亡を知った日から7日以内に(国外で死亡の場合は3ヶ月以内に)死亡診断書または検案書を添付して行うこと。(第86条)・死亡の届出は、死亡地で行うことが出来ること(第88条)・などの条文がある。市町村の戸籍係への死亡届の提出によって、埋火葬許可証の交付を受けることができる。死亡届の届出事項は戸籍法施行規則により次のように定められている。
明治維新後、神道国教化政策により、神社神道を皇室神道の下に再編成してつくられた国家宗教。明治政府の思想的基盤は復古神道に求められ、神祇官が置かれるなど古代の制度が取り入れられた。それに伴い神社は国家の儀礼を行うものであり、宗教以上のものとして国民すべてが崇敬すべきものとされた。軍国主義、国家主義と結びついて維持され、天皇を現人神とし、天皇制支配の思想的支柱となった。第二次大戦後「神道指令」によって解体された。広辞苑より
葬儀・告別式に先立って火葬が行われ、葬儀・告別式は遺骨をもって営まれる形態を骨葬という。一部の地方で行われている。土葬から火葬への移行の際、火葬をどの時点で行うかによって、葬儀の流れに違いが現れた。
高く土盛りした古代の墳墓。その形により、円墳、方墳、前方後円墳などに分類される。5世紀頃には、仁徳天皇陵など世界最大級の前方後円墳がさかんに造られたが、その後大化の薄葬令(官位によって墓の規模などを細かく定めた詔勅)によって消滅した。
主に石で造られた五輪の形を表現して積み上げた塔。その形は下から地輪は方、水輪は球、火輪は三角、風輪は半球、空輪は宝珠(玉葱型)。仏塔、墓標としての意味をもつ。