神や祖先などを祭ること。通常、神を迎えて共に食事をし、再び神を送り返す儀礼。
祭主とも書かれ、神道において祭祀を主催する神職のこと。伊勢神宮の神官の長を表す意味もある。
葬儀に使う祭壇は、須弥壇(しゅみだん)を象ったものや、様々な彫刻が施されるものなどさまざまである。材質も白木や黒檀などつかわれ、生花祭壇も多く見られる。
三途の川の河原のこと。幼くして死んだ子供は、三途の川が渡れず父母供養のため河原の石を積み塔を作ろうとするが、地獄の鬼が現れてそれを崩してしまう。そこに地蔵菩薩がが現れてその子供を救うと言われる。
ツバキ科の常緑樹。古来より神木として儀式に使用されている。
骨灰(遺骨を粉末にしたもの)を海や山に撒いて葬る葬法。散骨を始めた「葬送の自由をすすめる会」では「自然葬」と呼んでいる。各種世論調査で散骨を「認める」意見が多数を占めた事などから、社会的に認知された。墓埋法において、散骨の規定が無いため、散骨は適法とする解釈もある。また、刑法190条の「散骨遺棄」に相当するかについては、葬送の目的により節度を持ち行われるという条件の元、1つの奏法として見とめられる。だが撒かれる地域の住民の気持ちの問題もあるので、法律による規定が必要ではないかという意見も出ている。
死んで七日目に渡るといわれる「この世」と「あの世」を分ける川とされる。三瀬川、葬頭川、渡川などとも呼ばれ、川中には三つの瀬があり、それぞれ緩急が異なっており、生前の行いにより橋を渡れる者、深みを渡らなければならない者に分けられるという。川岸には脱衣翁と脱衣婆のニ鬼がおり、死者の着物を剥ぎ、木の枝に懸けるといわれている。棺の中に納めている六文銭とは、三途の川の渡し賃と言われる。
三途とは、地獄道、餓鬼道、畜生道の三道のことを指し、地獄道は火に焼かれることから火途、餓鬼道では刀によって苛まれることから刀途、畜生道では互いに食い合うことから血途と呼ばれる。広辞苑より
プロテスタントでは神を称える歌で、教会などで祈りや儀式の間に歌われる。カトリックなどでは、聖歌と呼ぶ。賛美歌とも書く。
仏教徒にとって信じるべき基本となるものである。仏(悟りをひらいた真理の体現者)・法(仏の教え)・僧(教えに従って修行し、またその教えを広める教団)の三つを三宝という。
心を鎮めて物事に集中している状態を表す。
精進上げ、忌中祓い、お斎(おとき)などともいう。本来は、仏式ならば死後四十九日の間、精進して死者の供養を行い、忌明けを期して親族が集まり、精進落としで「なまぐさもの(肉、魚等)」を食べ通常の生活に戻る象徴とすることであったが、現在では葬儀当日に初七日の法要などと併せて精進落しの席を設けることが一般的になりつつある。これは故人との共食、会葬者への振舞、手伝ってくれた人へのお礼などの気持ちが含まれた葬儀の合理化の手段といえる。
死による穢れのことです。、「古事記」や「日本書紀」に書かれた死者の世界「黄泉の国」は死体が腐乱し、蛆がたかる穢れた場として描かれるなど、日本人は死、特に死体に対して穢れの意識を強く持つとされています。喪家の火を使った食事をした者や、喪家に出入りした者も、死による穢れに触れたと考えられた。また、死者の枕元に供える枕飯は普段使用する火とは別火で作るものとされた。これなども死の穢れを避ける為に行うものである。また、死穢に触れると「清め」が必要と考えられた。死穢に対処するためには食事や酒が力があると理解され食事や酒が振舞われた。
紙華ともいう。俗に岡山県などのようにシカバナという地域もある。葬儀にあたって白紙を細長に切り、棒に巻きつけ、4本づつ1台にさし、ニ台を位牌の両側に置く。四華は釈尊が涅槃に入られる時、死を悼み悲しんで娑羅樹林花が変白したという娑羅樹林花になぞらえ、釈尊の涅槃を象徴している。仏教儀礼辞典より
正しくは「彼岸会(ひがんえ)」といいます。春分の日、秋分の日を中日と七日間を春、秋分の日を中日とする七日間が秋。春分、秋分の日をはさんで前後1週間、先祖の供養をしたり、お墓参りをする行事です。インドにも中国にも見られない日本独自のものですが、「彼岸」という言葉自体は仏教用語です。サンスクリット語の「パーラミター(波羅密多)」の漢訳の「到彼岸(とうひがん)」を略したもので、向こう岸すなわち仏の世界に至ることを意味します。仏の世界に至るために実践しなければならないとされる六つの徳目が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(布施、持戒、忍辱、精進、禅正、智慧)であります。つまり本来は先祖供養のための日ではなく、仏の世界に行くことを願って慎む期間とされていたのでしょう。春分、秋分の日は昼夜の長さが同じになるので、仏教の説く「中道」の教えにかなうとか、太陽が真西に沈む期間なので、西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいとか、いろいろな説があるようです。が、日本では「暑さ寒さも彼岸まで」というように、季節の変わり目にあたり、昔から農耕の1つの区切りとして祭りが行われていた時期でもあり、それが仏教の思想と結びついて、年中行事として定着したのでしょう。この期間は寺院では「施餓鬼」などの法要が催されたり、地獄、極楽のの絵図をかけて説法したり、念仏や題目の講が開かれたりしています。日常、仏寺に無関心な人も、この時期だけはお墓参りすという人がほとんどでしょう。
「しきび」とも読む。その実は猛毒をもつことから「悪しき実」と呼ばれ、その名の由来となったものともいわれる。言い伝えでは、狼や犬が樒の葉の匂いを嫌う事から、墓を荒らされないようにするためともいわれる。樒は仏花とされ、仏前に供える。墓前に植えたり葉を線香の材料として使用する。
人間の苦しみを四つ、もしくは八つに分けたもの。
四苦とは生・老・病・死の苦しみのこと。また八苦とは四苦に加えて「怨憎会苦」憎いものと会う苦)、「愛別離苦」(愛する者と別れる苦)、「求不得苦」(求めても得られない苦)、「五取薀苦・ごしゅうんく」(五盛陰苦、五陰盛苦ともいう。人間を構成する五つの要素から生じる苦)を合わせたもの。
現世で悪いことをした者が、死後堕ちて苦しみを受ける地下の世界。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・人天のうちの1つ。平安時代中期に源信が「往生要集」で地獄について詳しく述べている。
骨灰(遺骨を粉末にしたもの)を海や山に撒いて葬る葬法。散骨を始めた「葬送の自由をすすめる会」では「自然葬」と呼んでいる。各種世論調査で散骨を「認める」意見が多数を占めた事などから、社会的に認知された。墓埋法において、散骨の規定が無いため、散骨は適法とする解釈もある。また、刑法190条の「散骨遺棄」に相当するかについては、葬送の目的により節度を持ち行われるという条件の元、1つの奏法として見とめられる。だが撒かれる地域の住民の気持ちの問題もあるので、法律による規定が必要ではないかという意見も出ている。
原始仏教の中心の教説せある。諦とは真理という意味を持ち、釈迦が弟子達に説いた苦諦、集諦、滅諦、道諦からなる四つの真理のこと。
憲法第25条で規定する「国民の生存権」(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)の理念に基づいて、その生活の保護と自立への援助を定める法律。生活、教育、住宅、医療、出産、生業、葬祭の7種類の保護について定められている。
江戸時代中期に幕府が採用した民衆支配の方法。寺院によってその檀家の人々がキリシタンでないことを証明させ、旅行や住まいの移動の際にはその証文が必要とされたり(寺請制度)、戸籍に相当する宗旨人別帳(宗門改帳)が作成されたりした。こうして幕府は寺院を民衆支配に利用すると同時に、寺院に対しては檀家の葬儀を行う権限を保証した。この結果、仏教は民衆に広まり、仏式の葬儀・法要が完全に定着する事になった。現在行われている仏式葬儀の儀礼は、ほぼこの時代に固まったものである。
死後、初七日に登らなければならないとされる、死後初七日奉広王の庁に至る間にある険しい山。死の苦しさを山に例えたものであり、故人に着せる白装束は、この山に登るための旅支度であるとされる。広辞苑より
一般的に白装束とも呼ばれ死出の山を旅する旅姿である。浄土真宗では、死出の山路を旅するという考え方もないため、決められた死装束はない。また、浄土宗では死装束を浄衣と呼ぶ。ほとんどの場合、遺体が硬直していて着せることが困難なため、故人の体に掛けるだけの方が多くなっている。また死装束にこだわらず、生前好きだった洋服を着せたりかけてあげる方も近年増加傾向にある。
末期の水ともいわれ、死に際してガーゼや脱脂綿、などで死者の唇に水を湿らす事。死者の再生を願う為に行ったとされる。また仏教の教えでは、お釈迦様が入滅に際して水を欲したと伝えられており、これが現在の死水になったと思われる。
「しのびうた」とも読む。死者の生前の徳を讃える歌。神葬祭では、通夜祭や葬場祭で伶人あるいは参列者によりこれが歌われることがある。
刑法の具体的実現を目的として一定の手続きを規定する法律。
などが定められている。
新聞などに基本的には有料で載せる、死亡を伝える広告。逆に新聞社などの判断で無料で掲載するものを死亡記事という。今では葬儀後の会葬御礼などの広告を出す事も増えている。
現在では通信技術の発達により、電話や電報、ファックスなどでの通知がほとんどであるが、古くは告げ人・知らせ飛脚などと呼ばれ、男性が二人1組となり近隣へ知らせて回ったといわれている。これらは今でも行われる地域があるといわれる。
標縄、七五三縄とも書く。神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印と四手貼る縄のこと。一般には、新年に門戸に、または神棚に張る。左捻りを定式とし三筋、五筋、七筋と藁の茎を捻り放して垂れ、その間に紙垂れをさげる。
シャーマンを媒介とした霊的存在との交流を中心とする宗教的現象。「シャーマン」とは自らをトランス状態(忘我、恍惚)に導き、神、精霊、死者の霊などと直接に交流し、その力を借りて、託宣、預言、治療などを行う宗教的職能者のことです。日本では東北地方でイタコ、沖縄地方でユタなどと呼ばれ死者の霊の口寄せをする巫女はシャーマンです
極北、シベリア、中央アジア、北米インディアンに一般的で、類似の現状は南アジア、東南アジア、オセアニア等にも見られます。しかし、世界観、自然観や社会的背景を反映して一様ではありません。
故人が勤め先の企業に大きく貢献した場合などに、その企業が執行者となって行う葬儀のこと。この場合葬儀費用は企業が負担することが一般的である。
宗教とは、教義(教理)、儀礼、それらを支える組織である教団の三つで成り立っているものと言える。世界にはこれまで様々な宗教が存在したが、そもそも呪術や太陽信仰に始まり、アニミズムやシャーマニズムなどの原始宗教の時代を経て、民族宗教へと発展した。宗教の分類にもさまざまあるが、特定の民族の範囲内のみで信仰される宗教は民族宗教といわれ、日本における神道やイスラエルのユダヤ教などがこれにあたる。階層や民族などの枠を越えて広く信者を獲得した宗教を世界宗教または普遍宗教という。世界の三大宗教とされる仏教やキリスト教、イスラム教などがこれにあたるとされる。
火葬の後遺骨をを骨壷にいれること。「収骨」とも書く。拾骨は「箸渡し」と呼ばれる方法で二人を一組にして行われるのが一般的である。関西では主要な骨だけ収めて後は廃棄してもらいことが一般的です。
罪人を磔にする柱。イエスは十字に組んだ木に磔にされて死に、その三日後に復活したが、これをキリスト教ではイエスによる贖罪ととらえることから十字架がキリスト教の象徴として使われるようになった。
仏門に入る者に仏の定めた戒を授ける事をいう。戒を授ける者を授戒者といい、戒を授かるものを受戒者という。仏門に入る上での通過儀礼的なものである。なお、この時に受戒者(戒律を授かる者)には、戒名が与えられる。浄土真宗では授戒は行わないので戒名にかわり法名を授かる。同じく日蓮宗では法号を授かる。
孔子を始祖とし、孟子などにより発展した教え。「四書」「五経」を経典としている。家族に対する愛や孝の心、真心や思いやりの心を基にこれを社会や国家に広げて行く「仁」により、修身・斉家・治国・平天下と呼ばれる家・国・世界の秩序が説かれた。
日本においては、宗教としてではなく、社会道徳や倫理としてとらえられることが多かった。葬儀では儒教葬もあり、また儒式墓も存在する。血縁の親疎により服喪期間を定めるなど、儒教が日本の葬儀に与えた影響は少なくない。
読誦、誦経。声に出して経文を読むこと。
役小角(えんのおづの)を租と仰ぐ一派で山岳信仰と仏教(密教)が習合してできた民族宗教。一般では山伏などと呼ばれ山岳修行を積む事により呪力を獲得し、その力を基に加持祈祷を行った。
衆生とは人間すなわち命あるもの、生きとし行けるものを意味し、済度とは仏が人間を苦海から悟りの世界に導く事を意味する。衆生に救済の済と、渡すという意味を持つ度を合わせた衆生済度とは、此岸という苦悩の世界から人々を救済し、救いの世界である彼岸に渡す事を表す。
念珠ともいう。珠に穴をあけ、糸などでつないだ仏具で、手に掛けて使用する。宗教によってさまざまな種類があるが、八宗兼用のものも作られている。珠の数では、百八個が基本。本来はお経を読んだり念仏を唱える際、その回数を数える為の物であったが現在では葬儀の際に心を清め、威儀を正す為にもつとされる。
棺を祭壇から降ろし、遺族が最期の対面をし、花や副葬品を棺に入れてから棺の蓋を閉じ釘打ちを行う。この時点まで釘を打たないでおくのは、死の判定が不明確であった時代に行き返ることを想定していた事の名残りである。出棺に際しては、足の方を先にして霊柩車まで運ぶ。地方によっては座敷きを塩で清め掃き出すなどさまざまな風習がある。葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影を持って並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。
寿墓ともいう。陵(みささぎ)は天皇の墓を示すのでこの呼び名を避ける人も多い。寿墓ともいう。一般に生前に建てた墓の事を言う。生前のうちから「死後の住まい」を準備しておく人が増えた。
「しゅうばつ」とも読む。信徒の儀式に先立ち、その場を浄める行事、禊(みそぎ)のこと。大麻(おおぬさ・白木の棒や榊に紙垂(しで)を垂らしたもの。)を左右に振って祓いを行う。
寿墓ともいう。陵(みささぎ)は天皇の墓を示すのでこの呼び名を避ける人も多い。寿墓ともいう。一般に生前に建てた墓の事を言う。生前のうちから「死後の住まい」を準備しておく人が増えた。
1年の最初の月。または松の内という。古来、盆と同様に祖霊を迎える行事として行われたもので、盆行事と共通点が多い。葬儀が仏教と結びついて以来、盆と仏教、正月と神道が組み合わされるようになった。
法律用語。親から子などへ受け継いで行く事。第897条(祭具等の承継)として①系譜、祭具及び墳墓の所有権は前条の規定に関わらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する。但し、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者がこれを承継する。②前項本文の場合において慣習が明らかでないときは、前項の権利を承継すべき者は、家庭裁判所がこれを定める。
仏や霊に対し、自らの身心を清めるとともに敬虔な心を捧げて香を焚くことにより、故人の霊を供養すること。法事や通夜では線香が、葬儀では抹香が用いられる事が多い。焼香する回数はそれぞれの宗派の考え方により異なる。
通常、祭壇の手前などに焼香台を設置しその上に抹香を入れた香盒(こうごう)と香炉を置くが、香盒と香炉をセットにしたものを盆に乗せて参列者に回しながら自分の席で焼香することを回し焼香と呼ばれる。この香炉の脇に小銭を置くなどの習慣を持つ地方もある。
精進上げ、忌中祓い、お斎(おとき)などともいう。本来は、仏式ならば死後四十九日の間、精進して死者の供養を行い、忌明けを期して親族が集まり、精進落としで「なまぐさもの(肉、魚等)」を食べ通常の生活に戻る象徴とすることであったが、現在では葬儀当日に初七日の法要などと併せて精進落しの席を設けることが一般的になりつつある。これは故人との共食、会葬者への振舞、手伝ってくれた人へのお礼などの気持ちが含まれた葬儀の合理化の手段といえる。
「南無阿弥陀仏」と唱えること。
仏国土ともいい、仏の住まわれる清らかな世界のこと。阿弥陀仏の西方浄土信仰が盛んになるとそれを指すようになった。
衆生を救おうとする阿弥陀仏の本願(誓願)を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば、誰でも極楽浄土に往生する事ができると説く教え。法然(1133~1212年)を開祖とする。総本山は智恩院。それまでの仏の教えを理解して戒律を守り、修行をしなければ悟りはひらけないとする考え方(「聖道門」あるいは「自力」と呼ばれている。)から「浄土門」あるいは「他力(阿弥陀仏の本願の力に頼る事。いわゆる他力本願。)」と呼ばれる万人救済の道をひらいたところに重要な意味があり、これにより仏教が一般民衆にも広がり大衆化された。
死者を仏の弟子となし、阿弥陀仏の本願により極楽浄土に往生することを教え導く事が、浄土宗の葬儀の意味である。浄土宗の通常の法要は、
の三つから構成されるが葬儀ではこれらに加えて、「授戒会(じゅかいえ)」と「引導式」が行われる。死者を仏弟子にする授戒会は、一般に、枕経の際に行われる。仏を迎え、剃刀を頭にあてて念仏を唱え、さらに戒と戒名を授けるものである。こうして仏弟子となった死者を浄土に導く儀式が引導式で、これは葬儀式(堂内式)の中で行われる。引導は下炬(あに)と呼ばれる棺前での儀式によるが、これは2本の松明を持ち、1本を捨て、残りの1本で円を描いて下炬の偈・げ(仏を讃える詩)を述べるといったものである。土葬の場合には、松明の代わりに鍬が用いられる。
なお、浄土宗では阿弥陀仏の名を称えることによって必ず極楽浄土に往生できると説くので、死者が次の生をうけるまでの中陰・ちゅういん(中有)はない。葬儀後に営まれる法要は、浄土において修行する故人にふりむける回向としてある。
親鸞(1173~1262年)は法然の往生念仏の教えのなかから、親鸞なりの解釈をし、さらに進めた思想にたどりついた。その思想は、自力(自己のはからい)を捨て、阿弥陀仏の本願力におまかせすることによってのみ救われるとした絶対他力である。
浄土真宗では、浄土往生と成仏は既に約束されたものであり、死者は阿弥陀如来により死後直ちに往生させてもらうことへの恩に報いることと考えられている。従って、死者への供養や引導は行はない。葬儀ではあくまでも本願に対して死者と残された者がともに念仏を唱えて勤行に励むことが求められる。
回向は仏からいただくものであり、遺族などが故人に功徳を回向することはない。授戒も行わないため、戒名とではなく法名という。葬儀では、死装束を旅姿とすること、清めの塩などは不要とされる。
人が死ぬと仏になると考えられたため、俗には死ぬ事を指し死者のことを「ほとけ」と呼ぶ。仏教的には仏陀(仏)すなわち真理を悟った者になること。。
いわゆる仏教での儀式や法要で僧が唱える声楽。今でも天台宗や真言宗では行われている。
死者の霊のこと。お盆に家に迎えた祖先の霊を送り流す事を精霊流しなどといいます。「せいれい」と読む場合はより一般的な霊魂の意味で使われことが多く、未開宗教で草木、動物、人、無生物などの個々に宿っているとされる超自然的な存在。
キリスト教の教義の一つである。人間が自らでは贖う事が出来ない罪を神の御子であるキリストが人となり、全ての罪を担い十字架上で死ぬことにより神と人間との和解を果たし、人間はその罪を贖われたと考えられている。
1947年度制定。飲食によって生ずる危害を防止するための法律。食中毒などによる死者があった場合の医師の届け出義務(第27条)や遺族の同意の上でその死体の解剖ができること(第28条)などの条文がある
所得税の納税について定める法律。故人が勤務先で源泉徴収されていた場合は通常その勤務先が手続きをとるが、死亡した年の(前年の申告書を未提出の場合はその分も)確定申告が必要な場合は、故人の相続人が死後4ヶ月以内に、申告と納税をしなければならない。このうち年間の医療費が10万円以上の場合には医療費控除が適用される。さらに10万円を超える部分については、上限200万円まで確定申告から控除できる。ただし、死亡後に支払った医療費については相続税からの控除となる。
死者の霊魂のこと。または人にとりついて祟りをする怨霊、荒魂などのことです。
弘法大師空海(774~835年)によってはじめられた密教宗派。真言宗では永久不変の実在であり宇宙生命の根源である大日如来によって仏教の真髄が明かにされたとする。そしてその大日如来と一体となる事によって、即身成仏できるとした。密教で用いられる曼荼羅は、この教えにより得られるこの世界を表すものである。現在は、大きく古義真言宗(高野山真言宗など)と新義真言宗(智山派、豊山派など)に分かれている。高野山真言宗は金剛峯寺を、また真言宗智山派は智積院(ちしゃくいん)、真言宗豊山派は長谷寺をそれぞれ総本山としている。
弘法大師の作と伝えられる御詠歌「阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち帰る 阿字の古里」が真言宗の葬儀観を端的に物語っている。「阿」は梵字(古代インドで使用された文字)で書かれ、大日如来とその生命を表す。つまり宇宙生命の本源である大日如来の大生命に包まれている弥勒菩薩の浄土である「都率天」へ即身成仏した死者を送る事が、葬儀の意味となる。
剃髪と授戒によって、死者を仏弟子とし戒名を与え、さらに灌頂(水を頭に注ぐ密教儀式)を施し、血脈(師から弟子へ仏の教えを伝える系譜)を授けて引導とする、最後に死者を都率天へ送る儀式を行って出棺となる。引導作法は、成仏への三つの要因となる三密の妙行(すぐれた修行)を与える所に特徴がある。三密とは、行者の身・口・意の三業(身体活動・言語表現・意思作用の三つに代表される人間のあらゆる行為)と仏の身・口・意とが一体となる修行のことで、葬儀においては、死者に印と真言を授け、心は仏と一体になることを示すものである。
納棺の際に土砂加持が行われるが、これは光明真言を108回唱えて清めた土砂を死体や墓に撒くと、仏の光明につつまれて浄土に生まれるとされるためである。
御霊代、霊璽、神璽、依り代などとも呼ばれる。神、人、霊の代わりとして祭るもの。
神社を中心とした神道。氏神・鎮守などと呼ばれる神社を中心とした地域共同体の信仰や、出雲大社などいくかの大社への全国的な信仰がある。明治以降は、国家神道のもと国家の儀礼を行うものとして位置付けられた。敗戦後、神社の多くはそれぞれ宗教法人となり、神社本庁を中心とする1つの宗教団体として活動している。
神道の神が祀られる神聖な場所で、多くの神社は礼拝のための本殿や拝殿を持ち、そこで神職が祭祀を行いそれらを氏子が支えている。葬儀などの祭祀は、死の穢れが神前に及ぶことをおそれ、本殿や拝殿では行わない。
神官、祀職などとも呼ばれる。神社において祭祀を執行しそれを職業としている人。また神社における神職の長を神主はという。
神人とは神通力を得た人、神のように気高い人。神官、神主、神に奉仕する人の意味です。神を祀り、神と食事を共にすることにより神の力を我が身に取り込み、自分のものにしようとすること。
昭和20~30年代、各地の婦人会などが虚礼廃止など生活の合理化を目指して行われた運動。葬儀においても返礼品、花環の廃止などあらゆるものがこの影響を受けた。しかし高度成長の時代を迎えて徐々に下火になった。
神道式による葬儀。明治以前は檀家制度のもとで民衆の葬儀はもっぱら仏教が担っており、神葬祭は表向き江戸幕府から許されたのは天明五年(1785年)吉田家から許可状のある神道とその嗣子のみであった。明治維新の後に檀家制度が廃止され「自葬祭禁止の布令」が出されてからは一般にも可能となった。神葬祭が形作られたのは幕末か明治にかけてであり、全ての神職に開かれたのは戦後のことである。「神葬祭」という言葉自体、仏教葬儀に対抗するためのものであった。神葬祭の儀礼は、まず神棚と祖霊舎に帰幽(死亡)を奉告し、その前面に白紙を貼る。そして病気の平癒などを祈願した神社があればその神社に代参(代わりの人)を派遣するか遥拝(遠くから礼拝)して祈願を解くなどを行う。
発柩後、自宅の留守をあずかる親族などが家の内外を整え、また神職が祓い清める儀式。
神道における墓地。死の穢れを避けるため、神社境内には墓は造られないことが多い。そのため寺院墓地に代わる新たな神葬墓地が必要になった。東京の青山墓地や谷中墓地などは市営の神葬墓地として開かれ、日本における公営墓地の始まりとなった。
屈葬がしゃがんだ姿勢で埋葬されるのに比べ、仰向けに寝て足をまっすぐに伸ばした姿勢、つまり睡眠時の姿勢で死体を安置、または埋葬する事。寝棺形式で、欧米の土葬では一般的な方式。古代日本では高貴な人のみのものであった。
和語では「かんながらのみち」と呼ばれます。日本固有の民族的宗教で、日本の中でも最も古い宗教といっても過言ではありません。古来から特有の自然観と原始から古代人達の生活習慣からくりだされるなかから形成された特有のものです。禊や祓いによって心身を清め、神を祀ることが中心となります。特に教義や教祖となるような明確なもには存在しませんが、心霊、魂などをめぐっての原始的な信仰が集成されたものと考えられています。ですが、外国から入ってきた仏教や儒教などの影響を少しづつ受けて教義も整理されて行きました。現在は、神社を中心とする神社神道、天皇家の祭祀を続ける宮廷神道、幕末から明治にかけて発生し明治政府に公認された教派神道などがあります。
一般に神仏混淆(こんごう)などともいわれ、神道と仏教が融合及び調和することをいう。明治時代の神仏分離令や廃仏毀釈が行われるまでは神社に付属して造られた寺院が建築されたり、寺院の敷地内に鎮守社が建てられたり等、神仏習合が盛んに行われた。
長期間の船旅で途中で死者が発生したときなどに、死亡者が発生した時に死体を海に流す葬法。日本の沿岸地域では、死体を海に流す慣習もあったそうです。
憲法第25条で規定する「国民の生存権」(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)の理念に基づいて、その生活の保護と自立への援助を定める法律。生活、教育、住宅、医療、出産、生業、葬祭の7種類の保護について定めている。
葬祭扶助の範囲は
などの条文がある。
16世紀、イングランドの国王ヘンリー八世の離婚問題に端を発して、カトリックから分離した。これ以降、英国国王は政治・宗教両面の統治者になった。プロテスタントに分類されるが、儀礼や組織などから見るとカトリックに近い。聖公会と同義。
キリスト教の聖典。旧約聖書、新約聖書がある。旧約聖書はヘブライ語で書かれており、イスラエルの歴史、モーゼの律法、詩篇、預言者の書などからなる。新約聖書は全27巻からなり、イエスキリストの伝記を記した福音書、キリストの弟子達の行動を記した使徒行伝、パウロの手紙、黙示録などから成る。
教会によって任命される宗教活動の従事者。カトリックでは「神父」、プロテスタントでは「牧師」と呼ぶ。カトリックでは教皇を長とし、司教、司祭、助祭とつづく位階制度があるのに対し、プロテスタントでは全ての信者は神の前では平等であるという「万人祭司」の考え方により位階制度は否定されている。従って牧師は聖職者でなく教師とする。
地域によって生まれ代わりの儀式として古くから行われていたが、現代の生前葬は「死んでからではなく、元気な内に仲間に会っておきたい」という気持ちから行われるもので、招待する人、式次第などを本人の思い通りに出来る良さがある。葬儀・告別式のうち告別式だけを先取りして行うという考えからなっている。
自分の葬儀の内容や費用について生前に決定し、契約をしておくこと。葬儀費用は生命保険や銀行預金などに預託することが多い。米国ではブレニードと呼ばれ葬儀社のほとんどがこのシステムを取り扱うまでに一般化しているが、日本においても1人暮しの高齢者の増加などから、生前に死後の準備をする需要が出現している。葬儀費用の生前予約という意味では互助会なども存在するが、葬儀の内容を決めて契約するシステムは「LiSSシステム」(平成5年発足)が最初と言われ、その後新規参入も含めてさまざまなシステムが誕生している。死後のことであるだけに、契約通りの履行をいかに保証するかが重要である。
聖体拝領とはキリストが弟子達と過ごした最後の晩餐を記念して行われる儀式のことで、キリストの血を象徴する葡萄酒と体を象徴するパンを信者に分けるキリスト教で最も重要な儀式とされる。「聖体拝領」とはカトリックの用語で、プロテスタントでは聖餐式、ギリシャ正教では聖体礼儀などと呼ぶ。
神の食べ物とされ、ご神前に供えられる食べ物のことを指す。神葬祭などで行う、献饌・撤饌とはそれぞれ神に食物を献上し、あるいは供した食物を撤去する事を表している。供物の内容としては、稲(米)、酒、塩、水の神饌に加え、餅(もち)魚、野菜、根野菜、和菓子、乾物、果物などがある。
船員労働の特異性から制定された法律。「船長は、船舶の航行中船内にある者が死亡したときは、命令の定めるところにより、これを水葬に付することが出来る」(第15条)。これをうけて船員法施行規則では水葬に付する条件として、船舶が公海上にあること、衛生上船内に死体を保存できないこと、その他を挙げており(規則第4条)、船長の職務権限、海員の規則、船員労働の保護など、労働基準法と異なる規則を規定とし、1947年に制定された。
沖縄地方などで見られる、風葬して白骨化した遺骨を洗い、再び納める葬法(東南アジアの一部から中国東南部、台湾、朝鮮半島南部などでもみられる)。沖縄地方の墓は広く、手前に死体を安置する場所があり、風葬した後に遺骨を奥に納骨する事が多い。一旦安置した死体を白骨化したのを確認して取り出し、海水などで遺骨を洗い、肉と骨を分離させて、骨を甕に収める。そしてそれを再び墓の奥に納めるのである。死体を置く場所は洞窟などの場合もあったといわれる。死体を風葬した後に改めて遺骨を納めるので二重葬といわれる。
土葬の際に、膝を曲げて、しゃがんだ姿勢で埋葬すること。縄文時代の遺跡から甕、桶、座棺を用い、脚を折り、座った形で葬られたものが発見されているが、これも屈葬の一種と言える。
屈葬の理由は、掘らなければならない墓穴が小さくてすむためという説、胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説、休息の姿勢であるという説、死霊を恐れた事が原因とする説などがある。死者や霊に対する畏怖の念から死体を縛ったり、石を抱かせたりもした。
善処に導く綱という意味です。野辺送りで棺につないでいく引く綱のことです。近親の女性や子供がこれを手にします白い布や、赤白の綱を使用します。
葬儀は死者を仏の世界に送るための儀式の事。一般には菩提寺の住職に読経してもらい、遺族や近親者、故人と親しかった友人や知人が参列して行います。その点、大勢の人が集まる「告別式とは区別して考えた方が良いでしょう。最近は葬儀と告別式とを区別することは少なくなりましたが。本来は別のものです。
仏教では、人が亡くなると、西方にある彼岸(仏の世界)への遠い旅路をたどるものとされています。その教えに従って死者には死装束という旅支度をさせ、死出の最初の行程である野辺送りの儀式を行う風習があったわけです。仏教の教義上からも、故人に仏弟子としての戒律を与える授戒と、極楽浄土へ導く引導を行う葬儀はとても大事な儀式なのです。作法は宗派によりそれぞれ異なります。
告別式は故人の友人や知人が故人と最後の別れをする儀式で、昔は葬儀に続いて会葬者全員が遺骨を墓地まで送り、埋葬前に行ったものです。現在は会葬者全員が火葬場まで同行しなくなったため、告別式は葬儀に引き続いて一般会葬者の焼香を中心に行うものとなりました。近年は、葬儀と告別式を一つのものと考える傾向にあり、一般弔問脚も交えて葬儀を行い、そのまま告別式に移行するという形が増えています。以下葬儀を段階別に表します。
死者に対する意識は、一般的に死者への愛着の感情がある一方で、死者への恐怖や腐敗する遺体への嫌悪の感情、死をケガレと見る意識もあり、この2つが矛盾しながら共存していると言われる。葬儀は、死者に対する愛惜と恐怖という残された者の矛盾した感情を和らげる機能を持っていると考えられる。古代では、放置された死霊は生きている者に悪事をもたらすと畏怖されたことから、これを鎮魂するために祭事を行ったとされています。日本の葬儀民族風習としては、大体次のような形式です。
この後に忌(四十九日)、喪(約1年)が続いた。
葬儀の際の世話役。特に大型葬儀の場合に、葬儀委員会が作られることが多く葬儀全般の実行責任を担う。また葬儀委員会の代表となる人を葬儀委員長と呼ぶ場合が多い。
葬儀(式)は故人の冥福を祈るために遺族や近親者が営むものである。対して告別式は、故人の友人などが故人と別れを告げる儀式である。最近は、葬儀式と告別式をまとめて営む事が多くなっている。
自分の葬儀の内容や費用について生前に決定し、契約をしておくこと。葬儀費用は生命保険や銀行預金などに預託することが多い。米国ではブレニードと呼ばれ葬儀社のほとんどがこのシステムを取り扱うまでに一般化しているが、日本においても1人暮しの高齢者の増加などから、生前に死後の準備をする需要が出現している。葬儀費用の生前予約という意味では互助会なども存在するが、葬儀の内容を決めて契約するシステムは「LiSSシステム」(平成5年発足)が最初と言われ、その後新規参入も含めてさまざまなシステムが誕生している。死後のことであるだけに、契約通りの履行をいかに保証するかが重要である。
村落共同体の力が保持されていた時代には、隣組や町内会といった組織が世話役に任を担ったが、現在では親戚や会社関係などが担う事も多くなっている。
喪家(もけ)葬家(そうけ)などともといわれる。死者の発生した家のことをいう。
葬儀施行において、自らを律し自分たちに寄せられた社会的要請や個々の要請に十分に対応する努力を惜しまない人。葬祭ディレクター技能審査協会が実施している。厚生労働省が認定した葬儀の施行技能審査に合格した者に与えられる名称である。資格は1級と2級とがあり、受験には1級は5年以上または2級合格者2年以上、2級は2年以上の実務経験が必要。
現在ではクミ(組)、クミウチ(組内)とも言う。近隣の何件かの家を単位にして葬式全般を行う地域の組織。近年では会社関係などの組織が葬式組の替わりを務める場合も多くなっている。
死んで七日目に渡るといわれる「この世」と「あの世」を分ける川とされる。三瀬川、葬頭川、渡川などとも呼ばれ、川中には三つの瀬があり、それぞれ緩急が異なっており、生前の行いにより橋を渡れる者、深みを渡らなければならない者に分けられるという。川岸には脱衣翁と脱衣婆のニ鬼がおり、死者の着物を剥ぎ、木の枝に懸けるといわれている。棺の中に納めている六文銭とは、三途の川の渡し賃と言われる。
三途とは、地獄道、餓鬼道、畜生道の三道のことを指し、地獄道は火に焼かれることから火途、餓鬼道では刀によって苛まれることから刀途、畜生道では互いに食い合うことから血途と呼ばれる。広辞苑より
死者の葬り方、弔い方を定める慣習、制度、文化を広く表現する語。人間の死が発生すると、土葬や火葬にしたりと物理的に処理するだけだなく、文化、宗教的にも、社会的にも人の死を処理する必要が生じてくる。この死の処理方法を総称して葬制という。民族、地域、歴史により異なるが、基本的に次の三つの要素からなると言われている。
葬儀は死者を仏の世界に送るための儀式の事。一般には菩提寺の住職に読経してもらい、遺族や近親者、故人と親しかった友人や知人が参列して行います。その点、大勢の人が集まる「告別式とは区別して考えた方が良いでしょう。最近は葬儀と告別式とを区別することは少なくなりましたが。本来は別のものです。
仏教では、人が亡くなると、西方にある彼岸(仏の世界)への遠い旅路をたどるものとされています。その教えに従って死者には死装束という旅支度をさせ、死出の最初の行程である野辺送りの儀式を行う風習があったわけです。仏教の教義上からも、故人に仏弟子としての戒律を与える授戒と、極楽浄土へ導く引導を行う葬儀はとても大事な儀式なのです。作法は宗派によりそれぞれ異なります。
告別式は故人の友人や知人が故人と最後の別れをする儀式で、昔は葬儀に続いて会葬者全員が遺骨を墓地まで送り、埋葬前に行ったものです。現在は会葬者全員が火葬場まで同行しなくなったため、告別式は葬儀に引き続いて一般会葬者の焼香を中心に行うものとなりました。近年は、葬儀と告別式を一つのものと考える傾向にあり、一般弔問脚も交えて葬儀を行い、そのまま告別式に移行するという形が増えています。以下葬儀を段階別に表します。
死者に対する意識は、一般的に死者への愛着の感情がある一方で、死者への恐怖や腐敗する遺体への嫌悪の感情、死をケガレと見る意識もあり、この2つが矛盾しながら共存していると言われる。葬儀は、死者に対する愛惜と恐怖という残された者の矛盾した感情を和らげる機能を持っていると考えられる。古代では、放置された死霊は生きている者に悪事をもたらすと畏怖されたことから、これを鎮魂するために祭事を行ったとされています。日本の葬儀民族風習としては、大体次のような形式です。
この後に忌(四十九日)、喪(約1年)が続いた。
財産の帰属をする主体(人)が存在しなくなったため、誰かがその財産を受け継ぐこと。死亡した帰属主体を被相続人、財産を受け継ぐ人を相続人という。戦前の民法においては隠居が認められており生前に相続が行われる事もあったが、現在では相続は人の死によってのみ行われる。また現在では戦前の民法での長子相続(家督相続)が廃止され相続人が法律によって共同で相続する。相続の対象となる財産は、現金や預貯金、株券、土地、家屋などの他、借入金も含まれる。このため、多額の借金を相続する負担を相続人に負わせることのないように、相続の放棄あるいは限定承認(相続した財産の範囲内での借金弁済)することも認められる。この場合は、相続の開始(被相続人の死亡)時から3ヶ月以内に家庭裁判所で手続きをとらなければならない。 相続人と相続分(各人の相続の割合)は民法に規定されており、特に遺言がなければ、この規定にしたがって相続が行われる。相続人の第1順位者は故人の子(既に死亡している場合は、その子、つまり孫)、第2順位者は両親(直系尊属)、第3順位者は兄弟姉妹(既に死亡している場合は、その子、つまり甥、姪)で、また故人の配偶者は常に相続人となる。相続分は、配偶者(2分の1)と子(2分の1)、配偶者(3分の2)と親(3分の1)、配偶者(4分の3)と兄弟姉妹(4分の1)などの場合が定められており、同じ順位内ではさらにその人数で等分する。
相続や贈与によって財産を取得した人に対する課税について定めた法律。相続の開始時(死亡時)から6ヶ月以内に相続税の申告と、原則として金額の納付を行わなければならないと規定されている。
ただし実際に相続税を納金するほどの遺産を残すのは、基礎控除(相続財産からは五千万円+一千万円×法定相続人数:平成8年1月現在 第15条)と未成年控除(第19条の3)により、全死亡者の5%前後と言われる。
故人の財産のうち「墓所、霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるもの」は、相続税の課税価格に算入しない。(第12条)と規定されている。また香典や弔慰金なども通常は課税対象とはならず、葬儀費用(香典返し費用や法要の費用などを除く)は相続財産から控除される(第13条)。
曹洞宗という名は中国の禅宗の一派で、曹山本寂と洞山良价の頭文字を取ってつけられたとされる。日本の曹洞宗は、道元(1200~53年)を高祖(開祖)、瑩山紹瑾・けいざんじょうきん(1268~1325年)を太祖とする両祖をもち、それぞれが開いた永平寺と総持寺を両本山とする。即身是仏・そくしんぜぶつ(禅の心で生きていくことがそのまま仏である)という思想は、つまり悟りを得るために修行をするのではなく、修行がそのまま仏の行であるとされた。
教義上「浄土」を持たない曹洞宗の葬儀では、剃髪、授戒、血脈授与による死者の没後作僧(死後に出家者となすこと)と成仏がその中心に位置付けられる。これによって、死者が悟りの道を歩み、また遺族に故人の成仏の安心(心の乱れの無い事)をもたらすことが、葬儀の意味となる。
引導法語は葬儀で最も重要なものとされ、ここでは導師が自作の悟りの心境を表す漢詩(詩偈・しげ)を唱える。また喝、夷、露、散などと大声を発するのは、一字一喝ですべての言語を凝縮し、一挙に仏世界に入らしめる作用を意味しているという。
また坐禅を通して毎日を正しく生きていくことの中に悟りを見出す曹洞宗では、成仏をいわば坐禅の行によるプロセスとして見るため、故人の回向や供養なども、この成仏のプロセスを追善するものとして意味付ける。
近年「葬送の辞」が導入されているが、これは葬儀をどのような儀礼で行うかを述べるいわば開式の辞のようなものである。通夜諷経(通夜)において行われる事が多い。
死体の処理方法のこと。単に死体を処理するだけでなく、そこには死者を弔うという側面がある。
葬法の基本的なものとして知られるのは次の4種類である。
この他にもチベットなどで行われる「鳥葬」(死体を鳥に食べさせる方法)などが知られている風葬や水葬が自然に委ねる方法であるのに対し、土葬や火葬は人為的な処理方法に分類される。(鳥葬や火葬は死体を人為的に破壊するものとして破壊葬と分類することがある。)また、死体処理は死体の白骨化をもって終了するが、白骨化した死体を改めて葬る「ニ次葬」もよく行われる。風葬や土葬にした死体が白骨化するのを待ち、これを集めて洗い、再び壷にいれたり土中に埋めたりする。日本では通常、墓地への「遺骨の埋蔵」は火葬した骨を改めて土中に埋める事から二次葬に分類される。また、「散骨」と言われる火葬した骨灰を海や山へ散布する事も二次葬または二重葬、複葬ともいわれる。
葬列をなして、埋葬地まで死者を送る習俗のことです。告別式が発生するまでは葬祭の中心となった儀礼です。現在の野辺送りは出棺の挨拶が終わって、車で火葬場へ向かうことがそれにあたるでしょう。
昔は、故人と親しい人達が棺をかつぎ悲しみの行列をつくって火葬場や埋葬地まで送ったものですが、それが野辺のような場所であったところから野辺送りといわれたようです。
野辺送りは、遺体と同時に霊魂も送る儀式なので、魂が家に戻ってくるのを防ぐために、さまざまな送り方をしたようです。先頭の松明や提灯の火にあたるものに始まり、旗(銘旗)、竜頭、花籠、香炉、紙花(四華、四花)、膳、位牌、天蓋、棺など、いろいろなものが用意されました。
行列は棺の前後に晒布を述べて、血縁順に、この布を握って進みます。野辺送りでは、禁忌も多く、死霊が家に戻ってくる事を恐れて、途中で必ず迂回したり、火葬場に着いてから棺を三回ほどまわしたり、墓地の周りを回ったり、行き帰りの道を別の道を通るなどします。
肉身のままで成仏すること。あるいは成仏できるという考え方。真言宗ではこの即身成仏を強調している。
仏を供養して故人の追善にしようというもの。これを埋葬地に立てる。埋葬時や年忌、法要、お盆、お彼岸などに供養する時など一般に使われている。宗派では浄土真宗は用いない。一般的には「塔婆」と略して呼ばれ、木の板で長さも種類がある。
先祖の神霊のことです。子孫を守るとされています。
健康な内に尊厳死を宣言しておくことによって、回復不能な傷病に侵され、ひどい苦痛や意識不明の状態になった場合にも、本人の意思に基づいて延命のみを目的とした治療を中止し、人間としての尊厳を保った形で死を選び取り、自然に死を迎えるようにする。これを尊厳死という。現在日本では日本安楽死協会という団体が「リビング・ウイル」という名称で尊厳死の宣言の登録活動を行っている。これに対し安楽死は、回復の見込みのない末期状態の患者に対して、苦痛のない方法で死を迎えるよう処置することを指す。